内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日記のように書き送られ続けた両親への手紙 ― レヴィ=ストロース両親宛書簡集を読む(1)

2015-11-24 18:12:59 | 読游摘録

 九月後半のある日曜日、パリに滞在していたときのこと、好天に恵まれた日中、宿泊先のホテルからほど遠からぬムフタール通り(rue Mouffetard)をぶらついていたら、本屋が開いていたので、ちょっと覗いてみた。日曜日に開ける本屋はパリでも希少であるから、さほど大きくはない店内に十人ほどの客がいた。もっとも、観光客と思しき外国人がその半数以上だったろうか。
 入口脇の目立つ棚に、今月の新刊として、レヴィ=ストロースの両親宛書簡集 « Chers tous deux » Lettres à ses parents 1931-1942 (Seuil, coll. « La Librairie du XXIe siècle »)Emmanuelle Loyer によるレヴィ=ストロースの伝記(Flammarion, coll. « Grandes Biographies ») とが並べてあるのにすぐに気づく。少し立ち読みさせてもらって、買うことに決めた。が、本屋には申し訳ないと思いつつ、そこでは買わず、ホテルに帰ってネットで注文し、ストラスブールの FNAC に届くように手配した。
 数日後には入手したのだが、それ以来、仕事机の脇の本棚に両書を積んでおくばかりで、紐解く時間がなかった。今日になって、少し仕事に使う本の配置を変える必要から、両書を移動させるついでに、パラパラと書簡集の方をめくってみた。
 同書は、レヴィ=ストロース夫人の最終的な編集によるが、大きく二部に分かれ、前半は「戦前書簡」 (« Lettres d’avant la guerre »)、後半は「アメリカ(からの)書簡」(« Lettres d’Amérique»)と題されている。後者については、レヴィ=ストロース生前から出版計画があったためか、書簡が書かれた経緯と検閲の目を逃れるために書簡中に使用されている暗号等についてのレヴィ=ストロース本人による説明(2002年執筆)が前書きとして付されている。
 夫人による書簡集全体の前書きの最終部分を引用する。

  Après la mort de Claude, j’ai dû faire de l’ordre dans ses papiers. J’ai lu ces paquets de lettres avec un plaisir étonné : j’entendais sa voix, je revoyais ses traits, les descriptions me rappelaient l’homme avec lequel j’ai vécu presque soixante ans. Être réservé, si intimidant et mal connu.
  De Strasbourg durant son service militaire, de Mont-de-Marsan où il exerça pour la première fois le métier de professeur, de New York en exil, ces lettres écrites presque quotidiennement forment une sorte de journal. Et un journal n’est rien d’autre qu’un autoportrait.
  En le rendant public, je voudrais faire connaître l’homme qui se cache derrière le savant (Claude Lévi-Strauss, op. cit., p. 13).

 夫の死後、夫人は、夫が遺した膨大な書類を整理しなければならなかった。その中の書簡の束を読みながら、夫人は、驚き喜ぶ。亡き夫の声が聴こえ、その顔立ちが思い浮かぶ。書簡の記述は、ほぼ六十年間生活を共にした夫を思い出させる。控え目で、とても怖そうで、(あれほど有名でありながら、ほんとうには)よく知られてはいなかった人。
 兵役義務を果たすために滞在していたストラスブールから、初めて教壇に立ったモン・ド・マルサンから、亡命中のニューヨークから、同書に収めらている書簡は、ほとんど毎日のように書かれ、それらは一種の日記となっている。そして、その日記は、レヴィ=ストロースの自画像に他ならない。
 これらの書簡を公開することによって、夫人は、「学者」(« le savant »)の背後に隠れている「人間」(« l’homme »)を読者に知ってほしいと願っている。