昨日の朝、ちょっと必要があって上田閑照『西田幾多郎とは誰か』(岩波現代文庫、2002年)を久しぶりに読み返していた。西田が弟子一人柳田謙十郎宛に送った手紙二通それぞれの一節が引用されているところ(同書193頁)でしばし立ち止まる。上田書では省略されている部分も一部復元して、もう少し長く引用してみよう。
一通目は、昭和13年2月22日付、鎌倉から台北市に送られた書簡。弟子を優しく励ましつつ、学問の厳しさへの注意を促している。
君は君の足で君の道をすゝまれてよい 君には君にそれでよい所があると思ふ 君の特色があると思ふ 唯できるだけ自分で自分に對し批評的であることが必要だ そのためにはやはり反對の考を顧慮せねばならぬ 獨り piano を弾ずるにもいつも名人が見て居る氣持でなければならぬ
二通目は、昭和18年8月24日、鎌倉から京都に送られた書簡。日本の前途を深く憂いつつ、己の境涯を淡々と語り、そこから慈愛とともに弟子を励ます一節。
併し私は天地正大気いつしか甦り来ることゝ信じ居ります 唯かういふ時代に遭遇して真面目に研究して居らるゝ若い人々に氣の毒に堪へませぬが眞理はいつか顧みねばならない時が来るでせう[…]
私は今秋風と共に胸中誠に涼しきものがある樣です 深く自己自身に沈潜して静寂なる無限の喜びを感じます 百世人知るも可 知らざるも可 斯くして靜に死んで行きたいとおもひます […] 君も一つ死んでこれがよくもあしくも「私が生命の書だ」と云つて神の前に出すものをお書きなさい
こういう優しさ、大きさ、厳しさをもった偉大なる師に巡り逢えた弟子たちは本当に幸せだったろうと羨望の念を禁じ得ない。導く師なく、徒に馬齢を重ね、いくつになっても彷徨うばかりの私も、せめて、これから、残された時間、精進し、私の足で私の道を進み、これがよくもあしくも私の生命の書だ、と言って、神の前に差し出せるものを書いてから死にたい、と、切に、思う。