内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

Inventio naturae ― la technicité de la nature et la nature de la technique (予備的考察(2)対象へのアプローチの仕方)

2016-11-15 01:35:41 | 哲学

 発表の予備的考察の二つ目として、自然という大きな問題対象に対するアプローチの仕方についてメモ風にに述べた。一言で言えば、排他的一義性に抗して、様々な両義性の重ね合わせて考える、ということである。以下の五つの両義性を挙げた。
① 自然の両義性
 作る(創る・造る)・生む(産む)自然と作られる(創られる・造られる)・生まれる(産まれる)自然という両義性をどう考えるか。自然がその内に形を生む(形が生まれる)ということは、自然が自らのうちにその形を受け入れることにほかならない(la transpassibilité de la Nature)。
② 身体の両義性
 主体としての身体と対象としての身体、あるいは、働くものとしての身体と働かれるものとしての身体は、主観的身体と客観的身体とに分離できない。身体は、行為する主体にとって不可欠であるが、その行為する主体は、まさに身体であるがゆえに、対象化されもする。
③ 主体の両義性
 近代的主体(カント以降)が見失ったヒュポケイメノンとしての出自を再想起する。認識の中心として〈主〉(人)となった近代的主体は、対象に対して上に立つものとなり、sujet が本来持っていた〈支え〉・〈従者〉として下に立つものという意味を隠蔽することになった(日本語に訳す際に、「主観」「主体」など、「主」という漢字を採用したことによって、この隠蔽は決定的になった)。しかし、意志的・有責的行為主体と従属者・下支えという sujet の両義性は、今日こそ回復されなくてはならない。
④ 技術の両義性
 技術は自然と必然的に対立するのか。問題の立て方を転回させる。対立から和解へ。破壊から再生へ。距離(乖離)のパトスから回帰のパトスへ。
⑤ 接頭辞 « trans- » の両義性
 接頭辞 « trans- » が示す思考の運動の二つの契機 ―「超えて au-delà」と「通じて à travers」、「境界を超えていく aller au-delà des frontières」と「領野を横断する traverser un champ」― を併せ持った鍵概念:transduction, transindividualité, transpassibilité, transhumanisme 等を基軸として思考を展開する。