引き続き、シモンドンの行為論を追っていこう。ただし、今日から六日までは、記事作成にかけられる時間が著しく制約されているので、ごく短い記事になる。
Un acte qui n’est que lui-même n’est pas un acte moral. L’acte qui est une unité, qui consiste en lui-même, qui ne rayonne pas, qui n’a pas de bandes latérales, est effectivement un, mais s’insère dans le devenir sans faire partie du devenir, sans accomplir ce déphasage d’être qu’est le devenir. L’acte qui est plus qu’unité, qui ne peut résider et consister seulement en lui-même, mais qui réside aussi et s’accomplit en une infinité d’autres actes, est celui dont la relation aux autres est signification, possède valeur d’information (p. 334).
それ自身でしかない行為は道徳的行為ではない。一つの単体であり、それ自身から成り、光彩を放つことなく、側面的な帯域を持たない行為は、実際、一なるものではある。しかし、生成の部分をなすことなく、それこそが生成である存在の多相化を実現することもなく、生成のうちに挿入されている。一つの単体以上であり、それ自身のうちにとどまりそれ自身からなるだけではなく、無数のその他の行為のうちにも存し、そこでこそ己を実現する行為は、他なる行為との関係が意味作用であり、information としての価値を所有している行為である。
この行為論の中で information の意味がより明らかになってきた。上掲の引用での同語の用法を前提とすれば、information とは、「関係形成」(力・作用)であると言うことができるだろう。行為的連関を形成し、その連関の形成要素としての行為間に共有されうるものを拡張的に伝達することが作用としての information であり、いわゆる情報とは、その作用によって伝達される内容とその内容の伝達形式及び伝達に用いられる信号・記号などのことである。
したがって、シモンドンにおける情報と information との関係は、「情報 = information」と等号によってではなく、「情報 ⊂ information」と集合論の記号を使って定式化しなければならないだろう。