自伝が必ずしも事実を伝えるとは限らない。著者本人が意図して事実を歪曲しようしていなくても、記憶違いの場合を除いても、できるだけ正直にありのままを記述しよとしたとしても、そこに書かれていることをそのまま鵜呑みにするわけにはいかない。
どんなに詳細な自伝であっても、必ず語り落とされたことある。すべてを語るということはそもそも不可能である。語られていることよりも、語られていないことのほうがその自伝の著者をよりよく知る手掛かりになることもある。
エランベルジェは、『無意識の発見』第九章「カール・グスタフ・ユングと分析心理学」で、ユングの自伝に所々で依拠しつつも、そこに語られていないことを他の資料に拠って補っていく。そうすることよって、自伝には現れて来ないユングの隠された表情とも言えるような側面を浮かび上がらせていく。
伝記の醍醐味の一つは、著者が出所を異にする様々の資料を慎重に辛抱強く読み込みながら、それらを組合せていわば複雑なモチーフが交錯する織物を織るように、記述の対象である人物の多面性を徐々に浮かび上がらせていくところにある。