内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

哲学の方法としての「膨張」(その八)― 己の内に秘されていたものを己の外に再び見出す

2017-06-21 16:20:59 | 哲学

 クレティアンによれば、ベルクソンの著作中、〈拡張-回心 dilatation-conversion〉というテーマをもっとも発展させているのは『創造的進化』である(Chrétien, op. cit., p. 28)。
 生命の大海原にあって、知性は「一種の局所的な凝固」(« une espèce de solidification locale »)によってのみ形成されたものである。それに対して、哲学は、全体へと新たに溶け込むための努力以外のものではありえない。知性は、その原理へと再吸収され、それ固有の生成過程を逆向きに生き直す。かくして、私たちは己のうちで人間性を拡張し、己自身を超えていくことができるようになる。
 クレティアンは『創造的進化』の193頁からの引用を交えながらこうベルクソンの所説をまとめている。ところが、クレティアンが引用していない部分にも引用されている部分と同じくらい大切な論点が示されている。そこを引用しよう。

Mais l’entreprise ne pourra plus s’achever tout d’un coup ; elle sera nécessairement collective et progressive. Elle consistera dans un échange d’impressions qui, se corrigeant entre elles et se superposent aussi les uns aux autres, finiront par dilater en nous l’humanité et par obtenir qu’elle se transcende elle-même (L’évolution créatrice, op. cit., p. 193).

 知性が再びその生成原理へと遡行するという企図は、もはや一挙にはなされえない。その企図は必ずや集団的であり漸進的である。それは、さまざまな印象の交換からなっており、それらの印象は互に修正し合い、互に重なり合い、ついには私たちにおいて人間性を拡張するに至る。かくして、知性は己の企図を自ら超えるに至る。
 全一なるものへの知性の遡源は、直観によって一挙に実現されるものではありえない。たった独りで実現することもできない。複数の人間が協力し合って少しずつ事を進めていかなくてはならない。その作業過程では、多数の印象が比較されることで相互に修正され、次第に一点へと収斂していく。かくして、私たちに現に与えられていただけの知覚世界の中にそれを内側から突破する一点が定まり、そこを突破することで人間性は拡張されていく。
 知性の自己超越についての所説はすでに『創造的進化』の序論に見られる。クレティアンはそこに立ち戻る。
 私たちのうちには、悟性と相補的な関係にある諸能力がそれとしては不分明なままに隠されている。ところが、それらの能力は、自然の進化の中で働きつつあるまさにそのときにそれとして自覚されるとき、明瞭化され判明に区別されるようになる。かくして、それらの能力は、自己を強化するために必要な努力、生命の向うべき方位に自己拡張するために必要な努力がどのようなものかを学んでいく(L’évolution créatrice, op. cit., p. IX)。
 このようにして私たちは、己の内に隠されていたものを己の外に再び見出す。しかし、それは内か外かどちらかいずれかのためということではない。どちらに優位を置くかということが問題なのではない。むしろ、ほんとうには己の「外」なるものはない、と言うべきなのだ。世界と自然とは、私自身の内に眠っていたものを明白にし、説明し、解明する。