内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

イナルコでの研究発表を終えて ― 帰り道での思いもよらぬ「ご褒美」、そして宵闇を自転車で疾駆する

2017-06-25 14:35:51 | 雑感

 昨日は、パリのイナルコで、時枝誠記の言語過程説における主体概念と戦中の言語政策論文との関係についての研究発表を行った。内容は三月のストラスブール大学でのシンポジウムのときとほぼ同じだったが、今回はそれをフランス語で発表した。三月のシンポジウムときは、聴き手の大多数がフランス語を解さない日本から参加した研究者たちと日本語に通暁した日本学者たちだったので、発表当日その場で発表言語を日本語に切り替えた。だから、フランス語で用意した原稿は発表の機会を失ってしまっていた。昨日はその「敗者復活戦」だったというわけ。
 オーギュスタン・ベルク先生や若き哲学研究者たちが聴きに来てくれて、発表後の質疑応答の中でこちらも多くのことに気付かされ、全体として実りある発表だったと思う。ただ、私の発表が一時間を超えても終わらず、時間の制約上、用意した原稿十枚のうち丸二枚はカットせざるを得なかったので、結論部を唐突に提示せざるを得なかったのは残念だった。最終的な完成原稿は来年出版される予定なので、それが出版されたら昨日の出席者たちはお送りするつもり。
 イナルコ付近のカフェで出席者の何人かと小一時間歓談した後、帰りのTGVに乗るべくメトロ14番線からピラミッド駅で7番線に乗り換えた。あと二駅で東駅というところで、我が眼を疑う希少なつかのまの「邂逅」があった。
 というのは、私がかねてよりその膨大かつ精細で圧倒的な中世哲学研究に讃仰の念を抱き、その著作群から多くのことを学んでいるコレージュ・ド・フランス教授のアラン・ド・リベラ大先生が同じ車両に、奥様と思しき女性と乗り込んで来れられたのである。何度もコレージュ・ド・フランスの講義のヴィデオをネットで「聴講」しているので、ご本人であることはすぐにわかったが、まさに我が眼を疑った。
 車内は混雑しており、私は二駅先で降りなければならなかったので、お声を掛けることはできなかったが、折からの暑さと混雑で決して快適とは言えないメトロの車内で至近距離に稀代の碩学がごく普通の身なりでどこか所在なげに立ったままでいらっしゃる姿を内心興奮しつつ拝見していた。
 もう少し時間があったら、もう少し車内がすいていたら、「先生、いつもご著作拝読させていただいています。実は、今日、研究発表をした帰りなのですが、その発表の中でも先生の『主体の考古学』に言及させていただきました。これからもたくさんのことを先生のご著作から学ばせていただきます」と声を掛けさせていただきたかった。
 それは叶わなかったが、昨日の研究発表の「ご褒美」をまったく思いがけない仕方で受け取ったような気がした。浅学非才であれそれはそれなりに本分を尽くすべく学問に精進しようと気持ちを新たにした。
 ストラスブール中央駅から自転車での宵闇迫る帰り道、週末の夜を仲間と楽しむ人たちがそぞろ歩きする街中を、ペダルを踏み込み、疾駆して駆け抜け、帰宅した。