エルヴィン・パノフスキー(Erwin Panofsky)の Meaning in the Visual Arts (1957)には、『視覚芸術の意味』(岩崎美術社、美術名著選書 18、1971年 )という邦訳がある。未見だが、おそらく原著の全訳であろう。仏語版 L’œuvre d’art et ses significations. “Essais sur les arts visuels”, Gallimard, 1969 は、著者の意向を汲んでフランスの読者向けに編集し直されており、編訳者による解題が巻頭に置かれている。
その解題によると、仏語版の第一論文 « L’histoire d’art est une discipline humaniste » は原著のそれ « The History of Art as a Humanistic Discipline » の訳である。この論文は最晩年のカントのエピソードから始まる。
亡くなる九日前、カントは主治医を自宅に迎える。老齢と病気で体は衰弱し、しかもほとんど目も見えなくなっている。ところが、主治医が来ると、ソファから立ち上がり、そのまま立っている。弱った体は震えており、何か呟いているが聞き取れない。主治医は、自分が座るまではカントは座るつもりがないことにようやく気づき、腰を下ろす。すると、カントは付き添いに助けてもらって自分の席に戻る。少し元気を取り戻したとき、カントはこう言う。« Das Gefühl für Humanität hat mich noch nicht verlassen » (「人間的感性はまだ私を見捨ててはいない」)。そのとき居合わせた人たちは、それを聞いて涙がこみあげてくる。
このエピソードによって、パノフスキーは、カントによって Humanität という語に与えらた特別に深い意味を浮き彫りにする。それは、自らそれらを承認し自らにそれらを課すところの諸原則と、病い、衰弱、そして「道徳性」という語が含意するすべてへの最終的な従順との対比について、一人の人間が懐くどこまでも誇り高く悲劇的な意識である。
自ら承認した原則しか認めず、それに自ら従うことを原理とする理性は、その理性によっては如何ともしがたい自然の摂理には従容と従うことを己自身による要請として受け入れなくてはならない。近代人の孤独な理性の尊厳と悲劇がそこにある。