内的自己対話-川の畔のささめごと

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額田王の〈媚態〉から、ジンメルを介して、『「いき」の構造』の〈媚態〉へ ― 小川靖彦『万葉集 隠された歴史のメッセージ』を読みながら

2017-11-06 23:59:59 | 読游摘録

 小川靖彦『万葉集 隠された歴史のメッセージ』(角川選書、2010年、電子書籍版2014年)は、書誌学的手続きをおろそかにせず、先行研究への目配りも懇切な、大変に読み応えがある本格的な「入門書」である。
 その第二章「万葉歌人たちの詩の技法」では、『万葉集』を代表する歌人たち、額田王、柿本人麻呂、山上憶良、大伴家持などの作品の魅力が丁寧に解き明かされている。
 額田王については、大海人皇子との贈答歌としてあまりにも有名な巻一・二〇番歌の独創的で大胆な表現の魅力が「媚態(コケットリー)」をキーワードとして見事に読み解かれていく。
 この「媚態(コケットリー)」の定義として、意外にもドイツの社会学者・哲学者のゲオルグ・ジンメルのそれが導入されいてる。それによると、女性の〈媚態〉とは、「承諾と拒否を同時に、また交互に表現すること」である。つまり、「男性を惹きつけながら拒否し、拒否しながら全ての望みを奪わないことで、男性の心を捉えて優位に立つ」ことである。ジンメルによれば、「〈媚態〉は、欲望、獲得、排斥といった現実的関心から解き放たれて、人間の相互関係をその瞬間その瞬間に純粋に楽しもうとする社交の中で花開くもの」である。
 ここを読んで、九鬼周造『「いき」の構造』の「「いき」の内包的構造」での「媚態」の定義を思い合わせずにはいられない。『「いき」の構造』にはジンメルへの言及はなく、今手元にある九鬼関連文献だけでは確たることは言えないが、九鬼がジンメルの「コケットリー」(『文化の哲学』初版1911年刊に所収)を読んでいたことは大いにありうることだろう。