采女の 袖吹きかえす 明日香風 都を遠み いたずらに吹く (巻一・五一)
『万葉集』中屈指の名歌。志貴皇子作。集中、皇子の作はわずかに六首だが、いずれも清新さを湛えた秀歌。
この歌を最初に読んだとき、そのどこまでも清澄な響きに深く心を打たれた。藤原京への遷都後の作であることは確かだが、題詞からだけでは、遷都後、旧都を訪れた際の作かどうかさえわからない。
詠まれた季節はいつだったろうか。あるいは、この歌が感じさせる季節はいつだろうか。私は勝手に、どこまでも澄みきった空の下、爽やかな風が吹き渡る皐月の歌として誦んでいる。
容姿端麗な采女たちのあでやかな袖をかつては吹きひるがえしていた明日香の風も、遷都とともに人びとがそこを去ってしまった後は、ただ虚しく吹くだけ。虚空の下の無限の空しさが風景の中を吹き抜けていく。
その空しさは、風景が美しければ美しいほど、痛切に心に沁みる。