内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

手裏剣落としから『言の葉の庭』へ、そして万葉の世界へ

2017-11-15 18:49:05 | 講義の余白から

 まるで私の回復を手ぐすね引いて待っていたかのごとくに、早朝から怒涛のように処理案件が舞い込んで来る。あたかも四方八方から飛んでくる手裏剣を刀一つで叩き落さなくてはならないかのように息つく暇もないスピードでそれらを処理していく。その緊張感は、気を抜けば、手裏剣で額を割られてしまうかもしれない危地に立っている剣士のそれに匹敵する(ってのはさすがにおおげさか)。
 その「手裏剣落とし」の合間を縫って、採点作業を続けようと試みるが、メールの処理で寸断され、思うように進まない。もう今週末に持ち越すしかないだろう。成績提出の締切りは20日だからそれでも間に合うのだが、学生たちには金曜日の授業で答案を返し、講評を述べたかったのだが、それはネット上ですることにして、さらに質問があればオフィスアワーに来てもらうことにしよう。
 さて、今日はこれから(ってもう夕方六時過ぎです)明日の古代文学史の講義の準備である。先週の試験の講評(こちらは採点済みだ)を述べてから、いよいよ万葉集に入る。つまり、古代文学史の講義で私が最も力を入れるところである。すでにパワーポイントは全回分既存版があるのだが、そのバージョンアップを今晩行う。
 その下準備として、ここ数週間、万葉関連の文献を十数冊読んだ(そうざんす、どんなに忙しかろうが、研究教育のための読書は怠りませんのよ。そのためにこの一月で百冊以上電子書籍を購入いたしました。でも、これじゃぁ、金貯まんねえよな)。その何冊かを明日の講義では参考文献として引用する。
 他方、「現代日本社会に生きている万葉集」という視角から、新海誠の中編アニメ『言の葉の庭』を講義の導入に使う。このアニメは『君の名は。』の前作で2013年に公開された。靴職人を目指す高校生男子タカオと、その高校の生徒たちの嫌がらせが原因でその学校に行けなくなってしまった古典の教師ユキノとの間の切なく実らぬ恋の物語。丹念に描かれた映像が美しい。エンディングでの「いつかもっと遠くまで歩けるようになったら会いに行こう」というタカオの一言が結末を未来へ開いていて、見た後に清々し気持ちになる佳作。
 なぜこのアニメを使うかというと、万葉集巻第十一の柿本人麻呂歌集から採られた問答歌二五一三・二五一四の二首が物語の基調になっているからである。
 雨の日の一限は学校をサボると決めているタカオがユキノに初めて新宿御苑の東屋で出会ったとき、別れ際にユキノが謎掛けのように「鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ」と問答歌の女性から問い掛けの一首を誦んで立ち去る。
 タカオは同じ東屋でユキノに雨の日に会う度に彼女への想いを密かに募らせていく。彼女が自分の学校の古典の教師で、なぜ学校に来られなくなったかを知り、その原因となった三年生の女子の頬をひっぱたきに行き、そこに居合わせた屈強な男子学生に逆にこてんぱんにやられてしまう。
 その後、傷跡だらけの顔のタカオはユキノに同じ東屋で会う。そのとき、タカオは、先の歌の返歌「鳴る神の少し響みて降らずとも我は留まらむ妹し留めば」をユキノの前で誦みあげる。
 その直後に激しい雷雨。二人はいつも東屋に逃げ込み、そこで雨宿り。その後、二人はユキノのマンションに行く。タカオの濡れたワイシャツにアイロンをかけるユキノ。料理が得意なタカオが上手にオムライスを作る。二人で楽しげに食べる場面の後、「今まで生きてきて今が一番幸せかもしれない」と二人の内語が唱和する。
 食後のコーヒを片手に窓際のソファに背を凭せかけたタカオから、「ユキノさん、おれ、ユキノさんが好きなんだと思う」と告白。しかし、それを聞いて驚き戸惑うユキノは、「ユキノさん、じゃなくて、先生、でしょ」と、はぐらかしてしまう。そして、「先生は、来週引越すの。四国の実家に帰るの。ずっと前から決めてたの」と突き放してしまう。
 その後二人はどうなるか。ご興味ある方はどうぞご自分でご覧になってください。
 私は独り講義の準備に戻ります。