自分が生み出せる言葉など、たかが知れています。それらは、貧しく、淋しく、つまらない。書いている本人がつまらない人間なのだから、これは致し方ありません。
せめて、人が書いた珠玉のような言葉には敏感でありたい。「ああ、いい言葉だな、いい文章だな」と感じられるだけのセンサーはいつもオンのまま、その感度も、精度は高められないまでも、少なくともあたうかぎり良好に保ちたい、そういつも思っています。
そんな思いで毎日人の文章を読み、その記録をこの拙ブログにも残そうとしています。そのような記事は、拙ブログの「読游摘録」というカテゴリーに属します。これは私の造語。誰かのための摘録、というのでさえありません。ほんとうにささやかですが、この摘録が、私にとって、今日自分が生きていたことの証なのです。
八〇四年の遣唐使船で空海とともに唐に渡った橘逸勢が帰国を早めるために空海に代筆を頼んだ手紙「橘学生の為に本國の使に與ふる啓」(『性霊集』巻第五)は、日本文学史上、古今に冠絶する代筆文の傑作として今も燦然と輝いています。そこには、逸勢の語学の不才と金銭的困難が絢爛豪華な語彙でユーモアも交えて説得的に述べられています。その一部を以下に引きましょう。
然るを今、山川両郷の舌を隔てて、未だ槐林に遊ぶに遑あらず。且は習ふ所を温ね兼ねて琴書を学ぶ。日月荏苒として資生都べて尽きむ。此の国の給ふ所の衣糧僅かに命を続ぐ。束脩、読書の用に足らず。若使、専に微生が信を守るとも、豈に廿年の期を待たむや。只螻命を壑に転ずるのみに非ず、誠に国家の一の瑕なり。
しかし、中国と日本では言葉が違うのでよく理解できず、いまだに学校にもかよえないありさまです。そこで、これまで勉強していたものを復習しながら、兼ねて琴の曲譜を学んだのです。時はどんどん過ぎて学資もつかい果たしてしまいました。中国の給付金はわずかで、ようやく生きていくだけでいっぱいなのです。師へのお礼や書物を買う費用まで出ないのです。かの微生高という人は女性との約束を果たそうとしてかえって溺れ死んでしまったという故事がありますが、たとえ私が二十年の留学期間を守っても飢え死にするのが関の山です。もしそういうことになれば、おけらのようなつまらぬ人間といわれるにとどまらず、日本国の恥になってしまうでありましょう。(空海「性霊集」抄、加藤精一訳、角川ソフィア文庫)
自分の菲才を認め、手元不如意の言い訳をしつつも、自分の早期帰国が国家を恥辱から救うのことになるだろうなどと、これはもう誠に堂々たる責任転嫁で、やはり空海でなければこういう文章は書けなかったでしょうね。