内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

古代日本研究に垣間見られる近代日本の主体概念の病理とその現代における成れの果て

2017-12-18 22:39:19 | 哲学

 古代史の授業の準備ために読んでいたいくつかの書物に共通して使用されていた「主体的」あるいは「主体性」という言葉のことがちょっと気になった。
 まず、その中のいくつかの例を挙げてみよう。

推古朝における遣隋使や遣唐使の派遣に際し、大使や副使に随行した行政担当官、あるいは中国の先進的文化に触れ、それらを身につけて帰国した人たちが、新たな国家建設の役割を担うようになると、自身で考え、制度を構築することで、中国文化を受け身としてではなく、主体的に取り込むようになっていったのではあるまいか。(米田雄介『奇跡の正倉院宝物 シルクロードの終着駅』、角川選書、2010年)

したがって天平こそ、聖武が主体的に定めた初の年号であったのである。もっともそこには藤原氏の意図が深く絡んでいたから、聖武の主体性だけで決まったものではいことはいうまでもない。(『平城京誕生』、角川選書、III「平城京・京の繁栄」(執筆・舘野和己)、2010年)

遣唐使が将来した唐の文物は、日本で即受容されるとは限らなかった。そこで、唐文化移入の特色として、日本側の主体的立場に基づく選択性にも注目しなければならない。(森公章『遣唐使の光芒 東アジアの歴史の使者』、角川選書、2010年)

 この三書がすべて角川選書であることに特に他意はない。私が参照したのはすべて電子書籍版であり、すべてこの一ヶ月間に購入したものである。初版がすべて2010年刊行なのは、平城京遷都千三百年を狙った出版だということであろう。しかし、そのことも今日の記事の話題には直接的に関与しない。
 上掲三例における「主体的」ないし「主体性」という語の使用法に特に不明な点があるわけでもない。いずれの場合も、「自らの判断と責任において」というほどの意味で、受動性とか受け身などの反対語として用いられている。
 では、なぜそれが気になったかというと、「主体」という語は、もともとは subject(英), sujet(仏), Subjekt(独)の訳語であったのに、これらの文脈での「主体」は、もはやそれらの原語には訳し戻せない意味を帯びてしまっているからである。
 おそらくどの著者も、原語を一瞬たりとも意識せずに、ましてやその西洋哲学史二千五百年における意味の変遷などまったく思いもかけずに、「主体的」「主体性」という語を当然のごとくに使用している。それくらいこれらの語は日本語に定着しているのだとは言うことができるだろう。
 しかし、まさにそのことが、日本語における主体概念がその西洋的起源から切り離されたところで一般化していることの根深い病理を示している。
 個が個として自立・自律し得ない国において、本来主体性など成り立ちようがないのだ。主体性が個を否定する根源的主体性になったり、個を収奪する国家の主体性などが語られてしまった国(かつてそうだったが今は違うと言えるだろうか)に、主体など生きる場所はないのだ。
 二十一世紀に入って(言い換えれば、小泉政権の誕生の頃から)、「日出ずる国」で「自己責任」という言葉が「主体性」にとって替わるかのように頻繁に使用されるようになったことはけっして偶然ではない。
 自分で判断して行動し、その結果として失敗したなら、その責任は全部自分で負え。社会も国家もそれに対しては一切責任を負わない。おまえがどうなろうと知ったことではない。いいか、そのつもりでいろ。
 これが現代日本における主体の成れの果てである。