内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

思索の源泉としての辞典 ― 大野晋編『古典基礎語辞典―日本語の成り立ちを知る』を紐解きながら

2017-12-31 12:20:44 | 読游摘録

 大野晋は,最晩年,病床にあって,『古典基礎語辞典』(角川学芸出版,2011)の完成に心血を注いだ.最後まで他の執筆者によるすべての原稿の確認・推敲を続けた.だから人はこれを大野の辞典として紹介する.
 丸谷才一は,「毎日新聞」紙上でのこの辞典についての書評「日本人について考へるための最上の書」(2011.10.31)をこう結んでいる.

 大野は少年時代,日本人とは何かといふ謎に取り憑かれ,日本語研究に志した.その課題を追求し,考察した日本人論の精粋がこの一冊に収めてある.同じ知的関心を持つ者の必読必携の書.

 この辞典を二十一世紀の国民的遺産の一つとして日本人は誇っていいと私は思う.誇張ではない.しかし,それは大野一人の偉業ではない.学習院大学国文学科の「大野スクールの共同苦心の成果であり,開始以来三十年をたゆまず歩みつづけた作品である」(同辞典「序」より).そのことをとりわけ大切だと私は考える.
 この辞書には,日本語とタミル語との関係について,大野独自の学説に基づいた記述が多数の項目の末尾に見られる.これらは当然類書には見られない.大変興味深い.この大野説については,しかし,批判的な言語学者が多く,一般的に公認された学説とはとても言い難い.私自身,かなり懐疑的である.この点には,今,立ち入らない.
 この点を抜きにしても,この辞書は日本語の宝蔵の内奥へと私たちを導いてくれる最良の案内書の一つであることにかわりはない.大野自身が執筆した項目,例えば「あはれ」「かみ」「こと」「もの」などを読んでみよう.そこには,日本語での思考の原理,日本人の思考の原基に触れる洞察が随所に見られる.日本語で考えるとはどのようなことか,日本人はどのように物事を捉え生きているのか,日本とは何か,等々,私たちにとって本質的な問題を考える際の貴重な手がかりをそれらは与えてくれる.
 「かみ」については,この辞書の刊行に先立って,大野は,『日本人の神』(河出文庫,2014.初版は,三省堂より『一語の辞典 神』として1997年に刊行.2001年,現タイトルに改題して新潮文庫に収録)という一書をものし,「日本語のカミ(神)という言葉の由来」を探究している.
 『古典基礎語辞典』の「かみ」の項は約四頁にわたる長大なもの.丸谷才一は,「日本史と日本文化について考へるとき,ぜひとも参照すべき貴重な資料」と,その重要性を強調している(上掲書評.『別れの挨拶』集英社文庫,2013収録).その項の「解説」の最後の数行を引いて,今年の拙ブログの〆とする.皆様,どうぞ良いお年をお迎えください.

神は本来一定の地域の支配者であり,恐るべき存在であった.『万葉集』においては神は「雷」「恐(かしこ)き神」「天皇(かみ)」など支配者・領有者の意の例が圧倒的に多く,頼む相手・助けを求める対象とするものがきわめて少数であったのに,平安時代には様相はまったく変わっている.平安時代以後,神は助けるもの・救うものとする意識のほうが多数を占めるに至った.これは日本思想史における神の役割の大きな変化である.