『万葉集』巻第六・一〇〇七に「市原王、独り子を悲しぶる歌」との題詞が付されたこんな歌があります。
言問はぬ 木すら妹と兄と ありといふを ただ独り子に あるが苦しさ
独り子で淋しいという感情ならば同じような境遇にある多くの人に共通することで、それだけでは歌にするまでもないように思えます。実際、『万葉集』中にも他に例を見ません。後の勅撰歌集にも類例歌を見いだすことは困難なのではないでしょうか。
どうしてこんな歌を市原王は詠んだのでしょうか。物言わぬ木と己の境遇を対比し、木にさえ雌株と雄株とがあるというのに、どうして自分は独りっ子なのだろうか、それがつらい、という。
市原王は大伴家持と親しかったようですが、その家持も孤愁の人でした。生涯、孤独感にうち暮れた点に通じ合うものがあります(伊藤博『萬葉集釋注』)。
それに、両者ともに孤愁という実存を詩歌として昇華させた点も共通しています。
一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 声の清きは 年深みかも (巻第六・一〇四二)
「蕭々と吹く風の中に毅然として立つ孤高の松、年を深く重ねて高潔な風姿を保つ老松。松籟の清らかさを詠んだ集中唯一の歌で、万葉の絶品の一つ」と、伊藤博はその『萬葉集釋注』で絶賛しています。大岡信も「実に感じのいい作で、つまり気品があります」とその清韻を高く評価しています(『私の万葉集』)。
詩人の孤愁が一首の歌に結晶化され、千三百年近い時を超えて、こうして今日までその清らかな声を響かせていることに私は深い感動を覚えます。