内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

失われてゆくカルティエ・ラタン、さよならソルボンヌ、そしてまたいつかどこかで

2022-12-04 18:33:17 | 雑感

 昨年のパリ・ナンテール大学でのシンポジウムは11月末のことだった。その初日の夕刻、リュクサンブール公園脇からセーヌ川の方へと下っていくサン・ミッシェル大通りの坂道を歩いていて驚いた。まるでシャッター街なのだ。ほとんどの店がシャッターを下ろしたままというだけではなく、そのシャッターに色とりどりのスプレーでさまざまないたずら書きがされていて、その様子からして少なくとも数週間、あるいは数ヶ月間、閉まったままだということがわかる。観光客相手の店ほどコロナ禍の打撃は大きいとは聞いていたが、ここまでかとかなりショックであった。
 昨日の午後、同じコースを歩いていて、また驚かされた。昨年は薄暗いシャッター街だったのが、きらびやかで小綺麗だが安っぽい内装のブティック街に変身しているのだ。アパレル関係、靴屋、帽子屋、雑貨屋などが延々と続く。それらの店の前の歩道を下りながら、悲しくなった。ここはカルティエ・ラタンのど真ん中だよ。ソルボンヌとは何の関係もないこれらの店によってカルティエが侵食され、中世の面影をどこかに残していたこの界隈独特の雰囲気はもう二度と戻って来ないのだ。
 パリに住んでいた八年間、足繁く通った古書店 Galerie de la Sorbonne に行ってみた。入り口のガラス扉に貼り紙がしてある。閉店の知らせだ。「長い間ご愛顧いただきましたが、契約更新に至らず、当店はこの場所を離れることになりました」とある。ちょっと胸を突かれた。店内には、どこか呆然としたような表情で外を眺めている端正な顔立ちの老齢の店主がレジに座っている。
 扉を開け、店内に入る。店主に会釈する。三方の壁の天井まで届く書棚にはまだ古書が並んでいたが、店内中央の哲学関係の書籍の棚はやっとのことで隙間なし本を並べているといった様子で、十年前に私がその背表紙を何度も見ていた書籍が今も並んでいる。「久しぶり。まだいるんだね、君たち」と心のうちで声を掛ける。
 しばらく店内の客は私一人だった。店主に「閉めてしまうのですか」と声を掛けたかった。少し躊躇っていると、学生らしい若い女性が店外軒下の棚で見つけた買いたい本を手に持って店内に入ってきた。「お店、閉めちゃうんですか。残念。せっかく大学で勉強を始めたばかりなのに」と店主に話しかけている。それに対して店主が「閉店するわけじゃありません。今、この界隈の別の場所を探していて、一応約束を取り付けたところなんですよ」と答えている。「新しい店舗の場所が決まったらお知らせしますから、よかったら、このノートに名前とメールアドレスを書いてください」と店主がその女子学生に言うと、「じゃあ」とノートに名前とアドレスをサラサラと書き付けて、彼女は元気よく店を出ていった。
 その間、私は、購入するつもりの書籍を積み重ねていた。それらの本、実は、もう文庫版や軽装版や電子書籍版で所有しているものばかりなのだ。それらの初版本が破格の安値で売られているのが何故か悔しいというわけのわからない気持ちで購入する気になってしまったのだ。こんなことしたってお店のためには何にもならないとわかっていても、とにかくお店のために何かしたかった。
 それら六冊の本をレジの上に置きなら、「今聞きましたけれど、お店閉めちゃうわけじゃないんですね。実は私、パリに住んでいるとき、このお店によく来ていたんですよ。今はストラスブールに住んでいて、今回シンポジウムがあってパリに出てきて、ちょっと寄ってみようと思って来て、お店の扉の掲示を見て、ちょっとショックで」と、店主ともう一人の店員に話しかける。すると、店主がさっきの女子学生にと同じように、私にも名前と住所をノートに書いてくれれば、新しい店舗のお知らせを送ると言う。もちろん書き込んだ。
 そして、購入した本を受け取った後、店主に向かって、« Bonne continuation ! Bon courage ! » と、思わず右手の拳を上げて声を掛けた。彼も私の目を真っ直ぐに見て「ありがとう! ストラスブールまでの帰路、気をつけて。またいつか」と応えてくれる。
 失われていくものは、遅かれ早かれ、失われていく。それは避けがたい。でも、そうであるからこそ、私個人としては、失われていくものと共にありたい。