昨日言及した寺田透の『和泉式部』(筑摩書房、『日本詩人選8』、1971年)には、当時としてはかなり大胆と取られたであろう表現が見られる。しかし、和泉式部に関しては、それくらいの覚悟がないと、立ち入って論じることはできないのだと思う。
この歌の心象はすでに言ったように、熱なく燃える幻想的な螢の光の効果をもち、静かに、冷たいとは言えないが無熱で、他方あの夏の虫の光そのままに妖麗である。[…]式部には頽齢に及んでもなお「春」が宿っており、みずから自分を春と呼ぶこの老境のセックスこそ、螢光の光源だと考える方が一層かの女に近づいた解釈だろうと、僕は言いたいのだ。(91頁)
学問的見地からのこの解釈の成否がここでの問題ではない。コバヤシヒデオ的に言うと、どこまで式部の詩魂に参入できるか、という、批評家にとってのっぴきならない問いがここで突きつけられているのだ。和泉式部の歴史的実像などという血の通わぬ干からびた代物など、所詮学者の虚構に過ぎぬ(って、ヒデオ君なら言ったかもしれない)。
昨日の記事で引用した小松和彦氏の『京都魔界案内』にも、実は『貴船の本地』のもっと生々しい記述への言及があった。昨日の記事では引用を躊躇ってしまった。そこをそのまま引用しよう。
巫女は祈りの一環として、式部に衣の前をまくって陰部をさらすように命じた。きっと自分の性器が魅力的であるので、それを慕って夫が戻ってくるようにする呪術的な行為だったのだろう。その様子を物陰で見ていた保昌は、感動して妻を連れ帰り、以後は深く愛したという。
中世のお伽草子である。歴史的根拠などまるでないだろう。だが、まさにそうであるからこそ、このお伽噺には、人間の愛欲の真実がよく表されているとは言えないだろうか。