昨日の記事のツイートに対して、『畠中尚志全文集』の編者(という言葉は本書にはどこにも使われていないのだが、実質的にそう)である國分功一郎氏自身がリツイートしてくださったおかげで、普段はほとんど顧みられることもない拙ブログへアクセス数も普段の一・五倍くらいにアップした。微々たることとはいえ、それが少しでも多くの方に本書が読まれる一つのきっかけになってくれるのなら、畠中尚志氏のためにとても嬉しいことだ。
ただ、私個人としては、ちょっと困ったことにもなった。俄然スピノザが読みたくなってしまったのである。でも、年末が締め切りの原稿が一つあって、それどころではないのである。しかも、さらにまずいことに、普段からいつでも読みたいときに読めるようにと、仕事机から離れずに手の届く範囲に『エティカ』その他のスピノザの著作の仏訳が並べてある。特に、今年刊行された Pléiade 版の一巻本スピノザ全集はまさに座右に置かれている。あたかもこうなることを予期していたかのように。
その上、この際スピノザの生涯とその時代について今一度おさらいしておこうと、Steven Nadler の途方もなく浩瀚な伝記 Spinoza. A Life, Second Edition, Cambridge University Press, 2018 の電子書籍版を購入し、昨年刊行されたその仏訳の紙版も同時に購入し、PUF版のスピノザ全集中の『神学・政治論』も再度(というのは、過去に一度購入しているはずなのに書棚に見つからないから)購入。それどころか、『アベラールとエロイーズ――愛と修道の手紙』の畠中氏の解説を読んで、書棚から Flammarion 版の書簡集を取り出したら、それが全書簡集ではないことに気づき、これはだめだと、即、Le Livre de Poche の羅仏対訳完全版、Gallimard の Folio 版の書簡集も購入するはめになった。予期せぬ出費である(幸いなことに、やはり畠中氏が訳し解説を書いているボエティウスの『哲学の慰め』は、 Le Livre de Poche の羅仏対訳版と二つの仏訳がすでに手元にあり、新たな購入の必要はなかった)。
まあ、これも自分へのちょっと早めのクリスマス・プレゼントということにするかと屁理屈をつけ、机上眼前に積み上げられたそれらの書籍を随時参照しつつ、日本のアマゾンから今日届いた紙版の『畠中尚志全文集』を読んでいる。