「あくがる」という動詞が使われている和歌としてすぐに思い出されるのは和泉式部の有名な歌「物思へば沢の螢もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる」である。
『後拾遺集』(雑六神祇)に見える。『和泉式部集正集』『和泉式部続集』いずれにも見られないが、『宸翰本和泉式部集』には採られている。この『宸翰本』は新潮古典集成の『和泉式部日記 和泉式部集』で読むことができる。
仕事机右脇の書棚の、立ち上がればすぐに取れる位置に並べられている。その隣に並んでいるのが同じ集成版の『紫式部日記 紫式部集』である。それを見たら、日記で和泉式部に対して辛辣な批判を浴びせている紫式部はあまりいい気持ちはしないかも知れないが、どちらも私の愛読書なのだからお許し願いたい。
さて、上掲の和泉式部の歌には、「男に忘られて侍りけるころ、貴船に参りて、みたらし川の、ほたるのとび侍りしを見て」と詞書が付けられており、どのような時にどのような場所で作歌されたかわかる(その信憑性はここでは問わない)。
この「男」が誰かは不明とされるが、古来よりいろいろと詮索はされている。例えば、『俊頼髄脳』は、二十歳ほど年の離れた再婚相手藤原保昌とする説を採っている。中世の御伽草子『貴船の本地』でもそのように想定されている。現代では、寺田透が筑摩書房『日本詩人選』中の一冊『和泉式部』(昭和四十六年)でやはりこの説を踏襲している。
ところが、この歌が貴船で詠まれたことには注目していない。しかし、歌の解釈のためにはこちらのほうが重要だと私には思われる。式部はなぜ貴船に行ったのか。
貴船神社はすでに平安時代後期には、縁結びの神として知られていた。だが、同神社は、小松和彦氏によると、「洛中洛外の数ある魔界のなかでも屈指の魔界であった。」(『京都魔界案内』光文社、2002年)
同書で小松氏は『貴船の本地』に見られる和泉式部についての伝承に言及している。その伝承によれば、式部は保昌を深く愛していたが、その保昌に女ができたことで、夫婦の危機が訪れる。思い悩んだ式部は、貴船神社に参詣して、巫女に夫婦和合を依頼した。その甲斐あって、夫婦はよりを戻す。
一見美談のようだが、小松氏は、「このような縁結びには、新しい女との保昌の「縁切り」が必然的に伴っていた。こうした三角関係のなかから、やがて「復讐」=「呪い」の念がわき上がってくることになる」と述べている。
この伝承を背景として上掲歌を読むと、男に捨てられた女の嘆きの深さが魂をあくがれさせたとばかりは言えないのではないかと思えてくる。深い「怨念」が魂を体から遊離させ、あくがれさせたのではなかったか。
それに、歌に詠まれた螢は単数なのか複数なのか。私は複数説を採りたい。川面を飛び交う螢が千千に乱れる式部の魂の状態を表している。そう解釈したい。