今日午前中の試験監督をやっとのことで終えて昼過ぎによろよろと帰宅した。ほぼまる三日、ほとんど何も食べていなのに等しい状態で外に出たとき、最初はフラフラしてまっすぐ歩くことができなかった。徒歩八、九分の路面電車の最寄り駅まで歩くのもしんどかった。
教室に入って試験問題と答案を配るとき、「試験問題も下書き用紙も答案用紙に挟んであります」と言ったときの自分の声があまりにも弱々しいことに我ながら驚く。学生たちも怪訝な面持ちで私を見ている。一昨日の試験を受けた学生たちと同じ学生たちなのだが、水曜日のときは、風邪声ではあっても、もう少し大きな声だった。
「実は日本から帰国した十五日以降病気になってしまって、昨日は最悪で、体温は四十一度まで上がり、悪寒が止まらず、何よりも喉が痛くて唾も飲み込めない状態でした。ここ三日、ほとんど何も食べていないんですよ」と言った後、「だから、もしかすると試験中に気を失って倒れてしまうかも知れません。」と付け加えたら、かなり受けた。「そうなったときは、よろしくお願いネ」と、いつも最前列で授業を聴いている最優秀の学生の一人で、看護師として働きながら勉強している男子学生にお願いする。
試験中は、ユーカリのエッセンシャルオイルを染み込ませたガーゼ状のタオルをずっと口に当てていた。こうしていると呼吸がかなり楽になる。ただ、ときどき咳き込むのは止められなかった。喉の痛みは昨日よりは軽減しているが、唾を飲み込むのはまだつらく、咳をしただけで喉が痛むのも変わりない。
上記の看護師の学生は、答案提出の際に、「先生、お薬は飲まれていますか。どうぞお大事になさってください」と日本語で言い残して教室を後にした。その他にも、答案提出の際に、日本語で「どうぞお大事になさってください」と言ってくれる学生もあれば、フランス語で « Bon rétablissement » と言ってくれた学生もあり、答案の最後に「どうぞお大事になさってください」と書き加えてくれた学生もいた。
別の科目の追試も兼ねていたので都合ニ時間の拘束だったが、終わったときにはほんとうにホッとした。教室で学生の前に立つのはこれが今年度最後、九月の新学年までは教壇に立つことはない。採点は来週月曜日から始めることにして、今週末は安静にして過ごすつもりだ。
元来頑健な私にして症状がこれだけ重篤化したのは、ウイルスが強力だったということももちろんあるだろうが、三週間の日本滞在中に知らず知らずに積み重なったストレスによって免疫力が低下していたということもあるだろうと今では確信している。
最初から事情がわかっていれば、今回の帰国などキャンセルしたに違いない。手順前後は私の責任だが、ほとんど無益に何十万円も浪費したことには悔いが残る。今回はっきりしたことは、日本は私にとってもはや帰国する国ではなく、外つ国だ、ということである。