赤い太陽にキッス! 

旅日記、旬の花をパチリ!
ランチあちこち、スウィーツ大好きも書きます。
そうそう、 朝一番の太陽にキッスも・・・

23.対馬だけで見る、椎根の石屋根

2013年06月26日 12時50分44秒 | デジカメ旅日記
23.対馬だけで見る、椎根の石屋根

椎根集落で、対馬のこの近辺だけにある石屋根の高床式倉庫群を見学する。
集落の住居もすごく立派な大きな住居ですが、住居から少し離れた川沿いに
石屋根の倉庫が建てられていた。



火災から食糧や貴重品をまもるため母屋から離して建てられているのだろう。




重そうな板状の頁岩で葺いているのは、
武士以外瓦を使用することを禁じられていた事、

海風の強いこの地方の生活の知恵で
風に飛ばされないようこの地方で産した板状石で葺いたのでしょう。
今でも使われているそうだが、段々瓦葺に変えられているようだ。

22.元寇の歴史にふれる小茂田浜神社

2013年06月26日 04時46分53秒 | デジカメ旅日記
22.元寇の歴史にふれる小茂田浜神社

小茂田浜神社は蒙古襲来(元寇)で、3万余りの元の軍隊と900隻の軍船
に勇敢にも挑んだ対馬の守護代 宗助国とわずか80余騎は
全員玉砕した御霊を祀っている神社です。





元寇は1271年、1281年の2度に亘って対馬壱岐を壊滅的に侵攻した。
今小茂田浜は海浜公園として美しく整備されているが
この美しい入り江に蒙古軍が雲霞の如く押し寄せ男どもはその場で切り捨て、
女達は手の平にロープを通して束にして、子供たちは連れ去る。




今も元寇犠牲者をしのび武者行列や蒙古軍を迎え撃つように西の海に向かって
神官が弓を2回引く所作などをしているそうだ。


蒙古襲来と神風ぐらいは知識としてはあったが、ここで書かれたものを読むと
戦いの非情さと同時に高麗、元に対して強い嫌悪感を感じざるを得ない。

神社の片隅 日露戦争戦利品と書かれた大砲の弾が飾られていた。

国境の島の辛苦の跡が偲ばれます。

21.対馬市の朝を歩く

2013年06月25日 18時44分25秒 | デジカメ旅日記
2013.6.5(火)晴

21.対馬市の朝を歩く
少し明るくなってから散歩に出る。
対馬市役所の近くだからどちらに歩いても見るところには事欠かないと思い
北向きに歩いた。



早速朝鮮通信使幕府接遇の地の碑を見つけた。
高い石積の塀が目に付く防火壁
として作られていたようです。

散歩していた地元の人に見どころを聞いて見た。
歩いてきた反対側に金石城跡や
庭園、万松院などがあると言うので反対側に戻った。


金石城跡の石垣や

復原された金石城 城門そして旧金石城庭園などがあった。
金石城跡に続いて宗家菩提寺 万松院の山門、と墓地への石段が見えてきた。

1時間ほど散策してホテルに戻り朝食を済ませて観光に出る。

20.対馬の中心地 厳原のホテルに泊まる

2013年06月25日 14時41分53秒 | デジカメ旅日記
20.対馬の中心地 厳原のホテルに泊まる

対馬市役所の直ぐ傍に立つ小さなホテル 丸屋ホテルにチェックインする。
小さな大浴場?
で汗を流して夕食会場へむかう。




丸屋ホテルのセールスポイントは郷土料理 石焼、いり焼きらしい。
鉄板代わりのアツアツの石の上に、

生姜醤油だれに魚介類や野菜をほんの少しだけ漬け込み味をしみこませて
焼きます。


この石は石英班岩と言い、割れにくく、引っ付き難い石なんですね。


元々は、
漁師さんや海女さんが漁を終えた後に魚介類を焼いて食べた漁師料理だったようです

新鮮な刺身、サザエ、ヒオウギ貝みんな美味しかったです。
対馬蕎麦も皆さんは美味しい美味しいと言っていました。
デザートには旬の長崎琵琶とぶどうが付いてきた。

離島の料理はどこも大満足ですね。

かす巻「カステラ巻き」とも呼ばれる
御茶うけに付いていた。

19.烏帽子岳展望台で韓国を見晴るかす

2013年06月25日 04時39分30秒 | デジカメ旅日記
19.烏帽子岳展望台で韓国を見晴るかす

駐車場から60mと書かれた案内板を見て登りだす。
すべて石段、汗が噴き出してくる。



たかが60mですが結構きついですね。
烏帽子岳展望台まで上り詰めると
そこは360度展望できる絶景です。



標高は僅か 176m ですが、
日本でも有数のリアス式海岸である浅茅(あそう)湾の島々が箱庭のように美しい。
島々の緑もこの時期特に美しいです。

韓国を見晴るかすも見ることは出来なかったが、対馬の北端の展望台からはプサンの夜景
がはっきり見えるそうだ。
韓国人が年間15万人も訪れると言うのに、まだ出会っていないです。

18.海へとつながる鳥居が珍しい和多都美神社

2013年06月24日 18時17分09秒 | デジカメ旅日記
18.海へとつながる鳥居が珍しい和多都美神社

和多都美神社への参道をバスで昇っていると赤い大鳥居をくぐった。


ガイドさんがこの鳥居は町の有志が郷土のシンボルとして建立したものなんですよと説明してくれた。
神社境内にバスから降り立つと神社の鳥居が海の中に2つ、岸辺に1つ建ち、本殿までに
5つの鳥居が立ち並んでいた。


境内左側に、
三角形の形をした変わった鳥居の中に、背面にうろこ状の亀裂が見られる岩が祀られていた。

「磯良恵比須」の墓とか、祭礼に於ける御神体ではないかと記されていた。



相撲の土俵やぺーロン競争に使う小舟が保存さているのを見ることが出来た。
本での背後の鬱蒼とした森の中に

御祭神である豊玉姫命の墳墓が祀られていた。
広い境内を歩いているとウグイスの声や
頬をかすめるさわやかな涼風に深山にいるような気持にさせられた。

17.対馬の西岸と東岸を結ぶ運河に掛かる万関橋

2013年06月24日 13時06分25秒 | デジカメ旅日記
17.対馬の西岸と東岸を結ぶ運河に掛かる万関橋

鶏知(けち)の昼食場所 千馬から対馬空港の滑走路の下をくりぬいて走るトンネルを抜けて
万関瀬戸にやって来た。

日露戦争時の日本海海戦では、
帝国海軍の水雷艇部隊がここを通って出撃したという。
上対馬と下対馬を隔てる運河で帝国海軍が掘削したそうだ。

赤い橋 万関橋をバスから降りて歩く。


潮時によっては
橋の上から潮流の渦が幾重にも重なる様子を眺めることができるそうだが、今日は穏やかな
瀬戸の風景だった。
橋の真ん中あたりまで来ると突然強い風の流れが襲ってきた。
ガイドさんに言われて帽子は手に持っていたから飛ばされなかったが、
運河の上では強い風が流れているんですね。

対馬の名前の謂れは、
韓国から見てここを境に2匹の馬が向かい合っている姿に似ているところから
テマ から 対馬になったそうだ。

なあ~るほど そのように見えますね。

16.壱岐・芦辺港~対馬・厳原港へ

2013年06月24日 04時00分10秒 | デジカメ旅日記
16.壱岐・芦辺港~対馬・厳原港へ


11:55分壱岐の観光を終えてジェットフォイルで対馬へ向かう
1時間5分の快適なクルージングで対馬厳原港へ入港した。



壱岐島に比べて賑やかそうに見えるが、
面積は5倍ほど大きいが人口は34千人ぐらいだそうだ。
上陸後 鶏知まで移動してドライブイン 千馬で少し遅い昼食をとる。

サツマイモを麺状にした対馬名物 ろくべい定食を味わう。




*対馬ろくべい
サツマイモを細かく切って、発酵させて、せんだんごを作る。
せんだんごを水で戻し、沸騰した湯の中へ穴の開いた鉄板で押し出して茹で上げて、
澄まし汁をかけて食べる

15.壱岐安国寺の大杉を見る

2013年06月23日 18時57分46秒 | デジカメ旅日記
15.壱岐安国寺の大杉を見る


県指定文化財になっている壱岐では、一番古い寺です。
境内には樹齢1000年と云われる大杉とイチョウの大木が聳える古刹です。




元寇の犠牲者を弔うために建てられた臨済宗お寺ですが、
1994年に「高麗版大般若経」が韓国の窃盗団により盗まれて、その後韓国で発見
今では韓国の国宝になっているという。




最近でも対馬で仏像が盗まれ、発見されれば、日本が韓国から奪っていったものだと開き直る。

隣りに国とはいえ、無茶苦茶な国ですね。
境内に病の所を撫でると治ると言われる なで仏、


松浦久信と妻メンシアの拝塔が設かれていた。
古の歴史の謂れがあるようです。