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穏やかな陽射しの中を、もと会社OB会「ウォーキングサークル」の例会が行われた。
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覚王山の揚輝荘北園・南園を見学し、日泰寺に参拝した後、「すいどうみち緑道」を歩き、手打ちそばの人気店「千種豊月」
で新蕎麦を味わう8キロほどの行程。
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織田信長の寵愛を受けた伊藤蘭丸祐道は、主君の非業の死で武士を捨て、名古屋で呉服小問物商「いとう呉服店」を開業した。
これが松坂屋の前身である。
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伊藤蘭丸 から15代目、伊藤次郎左衛門祐民が構えた別邸が「揚輝荘」
で、大正から昭和初期にかけて覚王山の丘陵地に築いた郊外別邸の
代表作と言われる。
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先ずは、見頃の紅葉に迎えられ、北園を巡った。
修学院離宮の影響を受けた池泉回遊式庭園を鑑賞し、白雲橋
などを見物。
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↑聴松閣
続いて南園に移り、揚輝荘を訪れた。
ここは初代松坂屋社長が大正から昭和初期にかけ、約10,000坪の
敷地に地形を生かした庭園とともに、三十数棟の建物を有した
別邸であった。
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↑旧食堂
↑和室
↑旧舞踏室
↑地階ホール壁画
↑地下トンネル入り口
↑地下室への階段
↑名石、奇石、五輪塔、灯篭などが配置された石庭
各建物や庭園をガイドの説明と案内で、隈なく見て回った。
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揚輝荘を後に、日泰寺に参拝し「すいどうみち緑道」を歩き、
昼食会場の蕎麦屋にゴールした。
揚輝荘は戦災でいくつかの建物が消失し、戦果を免れた建物は米軍
司令官宿舎に接収され、返還後は松坂屋独身寮などに使われた。
幾多の変遷を経た後に、名古屋市に寄贈され、市民共有の文化財
として保護されている。