●敬愛する先輩であるし、私の小論文の師であるneanderthal yabuki先生のブログ『日々の与太』の記事『本日の備忘録/《人間にとって猿とは何か》』をまずは読んで欲しい。
●動物への手品として上記に掲げられている動画と似た(同じものも入っている)ものとして以下をリンク。
Animals confused by Magic compilation
●で、だ。
先の『日々の与太』の記事は以下のように終わっている。
「マジックの類を愉しむ風習(?)というのはいつ頃出来上がったものなのだろう。もちろん、文化史的な観点からも気になるのだけれど、動物たちの反応を見た後だと、進化論的な目で見て、いつ時分からマジックを愉しむ能力が芽生えるものなのだろうかというあたり。」
●「進化論的」というあたりが難しい。特に「マジックの類」とあると、非常に難しい。
マジック(手品、奇術)の定義として「人間の錯覚や思い込みを利用し、実際には合理的な原理を用いてあたかも『実現不可能なこと』が起きているかのように見せかける芸能」という定義がある(Wikipedia「奇術」)。とすれば「芸能」とほぼ重なると見て良いか。
ちょっと、ここからは思考実験。いくつかの芸能の類から考える。
音楽の起源は打楽器という単純な楽器はあるし、石器時代に笛も発見されているし、何よりも声という楽器を持っている。狩りなどの生活で必要なとき以外に音楽の類を奏でていたのはかなり古いだろう。
猿が驚くと(犬でも猫でもだけれど)上下運動を反射的に行うが、これを故意に行ったら舞踊の類となる。
わりとこの歌舞音曲という芸能の類を愉しむ風習の起源はかなり古いということは想像に難くない。
ちなみに舞踊史については下記参照。
※宮尾は舞踊人類学者宮尾慈良氏。ちなみに国語屋稼業の英語の恩師。
●音楽だと笛の時点で4万年前というんだから古いだろう。
●マジックも似たようなものないかなあ。壁画として残っているのは最も古くて4000年程度みたいですけど(異論あり)。
しかし4万~2万年前と4000年前とじゃ差がありすぎるよなあと思って考えてみると、「錯覚」という情報差が必要な芸能だからかなあ。
つまり、観客と演者の関係である。起源的にはおそらく歌舞音曲は全員が参加できただろう。
●しかし、マジックは原則としてそうはいかない。演者が持っている、知っている情報と観客の知っている情報が等しいと成立しない。錯覚を愉しむだけならお猿さんでも、動画を見る限りできるわけですよ。
※いくつかの宗教儀礼もマジックに入れてしまいます。マジックは元々、魔法と奇術を区別しないものですし。
●進化論的には、かなり最近にならないと演者が必要な「マジックの類」は成立しないかもしれませんね。
●んー、愚考だ。
いつも私もひっかっかっているので
動物とレベルは変わりません😅
少なくとも人間生活に慣れた動物は手品に引っかかっていると思うんですが。
ところで、私は明日、友人に手品を見せるのですが、がんばって楽しませようと練習中です。