●予備校講師になりたてのときは田村秀行師のものまねであった。
というのは授業のパターンだけではない。
キャラとしてである。
本文を声に出して読むとき、「~ですから」の発音、教科書の持ち方などなどである。
デブが田村師の真似をしているのは滑稽と言えば滑稽。
だが、中学生にもあのリズムは心地よかったのではないかと思う。一学期のアンケート結果はよかったのだから。
●板書スタイルは、やや不親切。田村師も不親切だったろうか。
カメラで見ていた職員さん(代ゼミは講師の授業を監視することがある!)から「大学受験科みたいな板書はやめましょう」と言われたくらいである。
そうか、不親切かと板書を変えることにする。
●するとどうも、しっくりしない。
田村師流の教科書の持ち方と量の多い板書がどうも合わない。
すると語り口も合わなくなる。
なお、ここでいう田村流は「個人の主観」というやつである。
あくまでも、私にとっての田村師である。
ここ大事。
内なる田村師とでも言おうか。
●そこで語り口が変わっていた。
英語の原秀行師である。
師は板書しながらの講義(だったはず)で語りとの相性がよかったのである。
ただ、「老婆心ながら」というのを講義中にやたらと使っていたら「ローバーシン」って何ですかという質問があったが、中学生対象だというのに、「老婆心」を使っていた。
「老婆心ながら」は講義で追加的説明をするのに持ってこいだったのである。
●板書しないで説明するときは宮尾慈良師も憑依していた。
生徒に同意を促す「ねー」とか、文末の「~なんですぅ」などである。
●要は私の中にある「予備校講師像」の集合体として私は講義をしていたのである。
●やがて、それらは無意識の底に沈み、私らしい講義となっていたのであろう。
おそらく、大学受験科にあがったあたりか。
「あろう」というのは確信が持てないからである。
「私らしい」ってなんだ? という思いは今もあるからである。
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