駄洒落道 ※1
―猫額亭― ※2
【駄洒落道とは何か】
描額亭「師にお聞きしたい。駄洒落道とはいかなるものですか?」
師「ふむ。その前におぬしは駄洒落をいかなるものと考える」
描額亭「それは言語の普遍的構造とも言えるシニフィエとシニフィアンの関係(※3)の不安定さを象徴するものであり、家族的類似(※4)を超えた集団の恣意的な連続性をも象徴…。」
(突然、師より裏拳で殴られ、鼻血を噴出す)
師「だまらっしゃい!!この現代思想オタク!!何がリオタール(※5)ぢゃ!」
描額亭「リオタールなどとは一言も…。」
師「喝!」(※6)
描額亭「はっ」
師「そもそも駄洒落とは死ぬことなのぢゃ」
描額亭「はぁ?」
師「語尾をあげるな、このデ○野郎!」(※7
描額亭「はっ」
師「駄洒落を言うというのはお主が言うたように言語の本質を見せるという面もあるのじゃが、そもそもは楽しませるのが目的なのじゃ」
描額亭「しかし、パンピーどもはスィ~ンとしたりして、楽しむどころの雰囲気ではありませんが」
師「ふ。そのような時もあろう。しかし、その場合、言った人間を第三項として排除する構造ができ、場が形成…」
(描額亭、師の水月に正拳を叩きこむ)(※8)
描額亭「現代思想キ○ガイなのはお前もだ!」
師「げしょげしょ。それでぢゃ。言った人間に対する反感やら優越感やらで一体感が生まれれば、それはそれなりに楽しくなるぢゃろ。駄洒落を言った目的は果たしているわけだ。また、おぬしのように教養のあると錯覚されている大学講師が駄洒落を言えば、同じような気分からお主に対する親しみも発生するであろう。それもまた楽しみを与えていることになりはしまいか」
描額亭「大学は三月でクビ(※9)なんでもうどうでもいいです。教養なんてクソくらえだ。
で、しかしですね、楽しみと死ぬとのつながりはいかなることでしょうか」
師「ふむ。それはぢゃな、楽しませたところで自分の地位は下がるぢゃろ。つまり、利他的な行為なのぢゃよ。己が生きようとしてはいかんのぢゃ」
描額亭「しかし、一般の人間はたださげすむだけではありますまいか。所詮<駄>洒落というように」
師「駄洒落という語は粗茶の類と同じ謙遜の気持ちをこめているのぢゃ。素晴らしいものに素晴らしいというのは恥ずかしいことぢゃ。しかし、謙遜の気持ちが薄れた今日において残念なことに駄洒落も地位を主張せねばならなくなった。一部の人間しか知らなかった駄洒落道も表に出るべきころぢゃと思うたのぢゃ」
描額亭「では、何をなさるのですか」
師「駄洒落の奥深さを解説するのぢゃ。古典などで和歌の解説(※10)を聞いて、奥深さに感動したことがあるぢゃろ。駄洒落も解説されることで奥深さがわかり、感動するもの
であることをしらしめるのぢゃ」
描額亭(それはないなと思い、無言)
師(弟子が感動で無言になったと思い、感無量で無言)
※1 http://writer.gozans.com/writer/377/1.html このアドレスで、2002-03-13 22:55:02にはじまった。今回の記事は注の追加と誤字の訂正(一部)をした。
※2 ゴザンスでのHNというか、号。当時、三畳の書斎を持っていたんだが、その部屋の名前に由来。
※3 ソシュール!
※4 ウィトゲンシュタインちゅーかヴィトゲンシュタインちゅーか。
※5 リオタール!! あ。まんまだ。上田秋成論を書くときに、この人のパロディ論を参考にしたんじゃなかったかな。
※6 恥ずかしいことに「渇!」になっていた。
※7 空欄補充はしないように。
※8 水月=みずおち=上腹部中央で、胸骨が逆V字形に接合している部分のすぐ下のくぼんだ所。みぞおち。
あ。その前に第三項排除で今村仁氏とかの話を書くべき?
※9 専門科目を優先させるという方針が決まり、パンキョウが減ったせいだったかな。
※10 関係ない話だが、中学生に和歌=短歌だけを読ませて(いや、活字だから見せてかな)、授業をするのはやめにしてくれないか。三十一音だけで理解するのには難しいものが、多すぎる。古典の和歌の場合せめて詞書の現代語訳もつけてほしい。近代の短歌だって前後に並べた短歌による文脈もあるのだしねえ。
―猫額亭― ※2
【駄洒落道とは何か】
描額亭「師にお聞きしたい。駄洒落道とはいかなるものですか?」
師「ふむ。その前におぬしは駄洒落をいかなるものと考える」
描額亭「それは言語の普遍的構造とも言えるシニフィエとシニフィアンの関係(※3)の不安定さを象徴するものであり、家族的類似(※4)を超えた集団の恣意的な連続性をも象徴…。」
(突然、師より裏拳で殴られ、鼻血を噴出す)
師「だまらっしゃい!!この現代思想オタク!!何がリオタール(※5)ぢゃ!」
描額亭「リオタールなどとは一言も…。」
師「喝!」(※6)
描額亭「はっ」
師「そもそも駄洒落とは死ぬことなのぢゃ」
描額亭「はぁ?」
師「語尾をあげるな、このデ○野郎!」(※7
描額亭「はっ」
師「駄洒落を言うというのはお主が言うたように言語の本質を見せるという面もあるのじゃが、そもそもは楽しませるのが目的なのじゃ」
描額亭「しかし、パンピーどもはスィ~ンとしたりして、楽しむどころの雰囲気ではありませんが」
師「ふ。そのような時もあろう。しかし、その場合、言った人間を第三項として排除する構造ができ、場が形成…」
(描額亭、師の水月に正拳を叩きこむ)(※8)
描額亭「現代思想キ○ガイなのはお前もだ!」
師「げしょげしょ。それでぢゃ。言った人間に対する反感やら優越感やらで一体感が生まれれば、それはそれなりに楽しくなるぢゃろ。駄洒落を言った目的は果たしているわけだ。また、おぬしのように教養のあると錯覚されている大学講師が駄洒落を言えば、同じような気分からお主に対する親しみも発生するであろう。それもまた楽しみを与えていることになりはしまいか」
描額亭「大学は三月でクビ(※9)なんでもうどうでもいいです。教養なんてクソくらえだ。
で、しかしですね、楽しみと死ぬとのつながりはいかなることでしょうか」
師「ふむ。それはぢゃな、楽しませたところで自分の地位は下がるぢゃろ。つまり、利他的な行為なのぢゃよ。己が生きようとしてはいかんのぢゃ」
描額亭「しかし、一般の人間はたださげすむだけではありますまいか。所詮<駄>洒落というように」
師「駄洒落という語は粗茶の類と同じ謙遜の気持ちをこめているのぢゃ。素晴らしいものに素晴らしいというのは恥ずかしいことぢゃ。しかし、謙遜の気持ちが薄れた今日において残念なことに駄洒落も地位を主張せねばならなくなった。一部の人間しか知らなかった駄洒落道も表に出るべきころぢゃと思うたのぢゃ」
描額亭「では、何をなさるのですか」
師「駄洒落の奥深さを解説するのぢゃ。古典などで和歌の解説(※10)を聞いて、奥深さに感動したことがあるぢゃろ。駄洒落も解説されることで奥深さがわかり、感動するもの
であることをしらしめるのぢゃ」
描額亭(それはないなと思い、無言)
師(弟子が感動で無言になったと思い、感無量で無言)
※1 http://writer.gozans.com/writer/377/1.html このアドレスで、2002-03-13 22:55:02にはじまった。今回の記事は注の追加と誤字の訂正(一部)をした。
※2 ゴザンスでのHNというか、号。当時、三畳の書斎を持っていたんだが、その部屋の名前に由来。
※3 ソシュール!
※4 ウィトゲンシュタインちゅーかヴィトゲンシュタインちゅーか。
※5 リオタール!! あ。まんまだ。上田秋成論を書くときに、この人のパロディ論を参考にしたんじゃなかったかな。
※6 恥ずかしいことに「渇!」になっていた。
※7 空欄補充はしないように。
※8 水月=みずおち=上腹部中央で、胸骨が逆V字形に接合している部分のすぐ下のくぼんだ所。みぞおち。
あ。その前に第三項排除で今村仁氏とかの話を書くべき?
※9 専門科目を優先させるという方針が決まり、パンキョウが減ったせいだったかな。
※10 関係ない話だが、中学生に和歌=短歌だけを読ませて(いや、活字だから見せてかな)、授業をするのはやめにしてくれないか。三十一音だけで理解するのには難しいものが、多すぎる。古典の和歌の場合せめて詞書の現代語訳もつけてほしい。近代の短歌だって前後に並べた短歌による文脈もあるのだしねえ。
いや最高でしたwww。リオタールをまったく知りませんでしたw