金が発見される前のカリフォルニアは、開拓者もそう多くは行かない場所だった。
1839年、ドイツ系スイス人ジョン・サターが入植し、はじめての白人コミュニティ「ニュー・ヘルベチア」をつくったのがサクラメントのはじまりとされている。
訪れた日、復元された「ニューヘルベチア」の中心だったサター砦の外で星条旗をあげるレンジャー
ちょうど催しがある日で、当時の衣装を着た人がたくさんいた。
砦のすぐ外に立つサターの像
この日は中へ入れなかったが、二回目の訪問では見学することができた。
中庭にあるこの建物だけが、当時からのオリジナルだったと、あとから気付いた。
※後出の古い写真の建物と見比べてください↓
中庭に一門の大砲
これはロシア製だった⇒※こちらにもう少し書きました
ジョン・サターはヨーロッパで事業に失敗し、妻子を置いて新大陸に渡り、カナダやハワイを経てここまでたどり着いた。ここでたくさんのメキシコ人(当時ここはメキシコ領)を使い、先住民ともうまくつきあいながら居場所を得ていったのだ。
砦でつくって先住民たちに好評だったのが織機でつくった毛布だった↓
今でも製品を販売していた。当時もこんなのだった?
この砦にいったいどのぐらいの人が住んでいたのか、チケット売り場の人に訊ねてみると「確かでないけど三百人ぐらいかな?」とのこと。それにしては小さい?いや、よく解説を読んでいくと、ここが復元された時に、もとの大きさの三分の一のサイズにされていたのだった。
一時は栄えたこの砦は、19世紀後半にはいると壁もなくなって、廃墟のような状態になっていた。
サクラメントは度々洪水に襲われていたようだから、流されてしまったのかもしれない。
1887年⇒
1890年、修復が決定された段階⇒
この時、もともと日干し煉瓦でつくられていた壁はレンガで代用され、砦の敷地は三分の一になった。こういった門構えは「いかにも」だが、オリジナルのものではまったくない↓↓
★1848年1月、サター農場の一角で水車小屋を建設していた時、ジェームス・ウィルソン・マーシャルという男が川の中に光るものをみつけた。サター氏がそれを調べてみると、まさに金だった。ここからゴールドラッシュがはじまったのである。下の写真はその水車小屋とマーシャルの肖像↓
ここから、ゴールド・ラッシュがはじまった。
一回目のコースでは、ジャクソンという金鉱で栄えた街にも立ち寄った六月でも暑い陽射しの下、ひっそりした、しかし当時の雰囲気を感じさせてくれる旧市街。
訪問した「ケネディー金鉱」は、大規模な採掘を行っていたが、坑道自体は水没してしまっている。東の竪穴の上に建てられたやぐらがオリジナルのまま残されていた↓
ジャクソンのあるサクラメントからヨセミテ方面への旧道には、何百もの採掘坑があり、そのすべてが採掘を止めていたが、近年、金の値段が高沸してきたことにより、再び採掘をはじめたところもあるのだそうだ。
金の夢はまだ終わってない。
1839年、ドイツ系スイス人ジョン・サターが入植し、はじめての白人コミュニティ「ニュー・ヘルベチア」をつくったのがサクラメントのはじまりとされている。
訪れた日、復元された「ニューヘルベチア」の中心だったサター砦の外で星条旗をあげるレンジャー
ちょうど催しがある日で、当時の衣装を着た人がたくさんいた。
砦のすぐ外に立つサターの像
この日は中へ入れなかったが、二回目の訪問では見学することができた。
中庭にあるこの建物だけが、当時からのオリジナルだったと、あとから気付いた。
※後出の古い写真の建物と見比べてください↓
中庭に一門の大砲
これはロシア製だった⇒※こちらにもう少し書きました
ジョン・サターはヨーロッパで事業に失敗し、妻子を置いて新大陸に渡り、カナダやハワイを経てここまでたどり着いた。ここでたくさんのメキシコ人(当時ここはメキシコ領)を使い、先住民ともうまくつきあいながら居場所を得ていったのだ。
砦でつくって先住民たちに好評だったのが織機でつくった毛布だった↓
今でも製品を販売していた。当時もこんなのだった?
この砦にいったいどのぐらいの人が住んでいたのか、チケット売り場の人に訊ねてみると「確かでないけど三百人ぐらいかな?」とのこと。それにしては小さい?いや、よく解説を読んでいくと、ここが復元された時に、もとの大きさの三分の一のサイズにされていたのだった。
一時は栄えたこの砦は、19世紀後半にはいると壁もなくなって、廃墟のような状態になっていた。
サクラメントは度々洪水に襲われていたようだから、流されてしまったのかもしれない。
1887年⇒
1890年、修復が決定された段階⇒
この時、もともと日干し煉瓦でつくられていた壁はレンガで代用され、砦の敷地は三分の一になった。こういった門構えは「いかにも」だが、オリジナルのものではまったくない↓↓
★1848年1月、サター農場の一角で水車小屋を建設していた時、ジェームス・ウィルソン・マーシャルという男が川の中に光るものをみつけた。サター氏がそれを調べてみると、まさに金だった。ここからゴールドラッシュがはじまったのである。下の写真はその水車小屋とマーシャルの肖像↓
ここから、ゴールド・ラッシュがはじまった。
一回目のコースでは、ジャクソンという金鉱で栄えた街にも立ち寄った六月でも暑い陽射しの下、ひっそりした、しかし当時の雰囲気を感じさせてくれる旧市街。
訪問した「ケネディー金鉱」は、大規模な採掘を行っていたが、坑道自体は水没してしまっている。東の竪穴の上に建てられたやぐらがオリジナルのまま残されていた↓
ジャクソンのあるサクラメントからヨセミテ方面への旧道には、何百もの採掘坑があり、そのすべてが採掘を止めていたが、近年、金の値段が高沸してきたことにより、再び採掘をはじめたところもあるのだそうだ。
金の夢はまだ終わってない。