この相撲の様子。それを見守る人々の中にいる鶴と亀も、あまりにおもしろい。
※⇒こちらにもう少し写真を載せて書きました。
さらに、その隣の鐘楼内部の素朴な木造もおもしろい。※こちらに書きました。
《手造の旅》山形の最終日朝、ガイドさんとドライバーさんに勧めていただいて訪れた亀岡文殊。今回の旅で屈指の興味深い場所だった。
きのう、おとといと訪れた寺社は、ほとんどすべて明治期に大きなダメージをうけてしまっていて、伽藍の位置から形までオリジナルではなかった。それに比べると、本殿は大正期の建て替えであったとしても、近くの観音堂と鐘楼は享保年間(享保元年は1716年。今からちょうど三百年前になる)に建造された、ほぼそのままの姿であろう。
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お昼少し前に須貝さん宅へ到着。築二百年を超える立派な茅葺農家は、それだけで訪れる価値がある。二十数人ならば昼食のテーブルを入れてもゆったり収まる。お出しいただいた料理は、実に家庭的でほっとさせてくれる。御殿守にもぜったいひけをとらない味だった。
豆ごはん・クルミごはん・ゼンマイ煮・おかヒジキの辛しあえ・イカの姿煮
きゅうりキムチ・きゅうりからし漬け・白菜漬け・かぶの酢漬け・イナゴの甘煮
トウモロコシ・枝豆
ちゃんとミキサーも入って、準備万端。
須貝さんの歌は、小松がこれまでやってきた音楽とはずいぶん違う。「こじゃれて」はまったくいないが、力強く頼もしい。伝えたい事がはっきりある。はじめてここへ伺った時、それを感じたからこそ、この《手造の旅》をどうしても実現したいと思った。
自己満足を超えて、誰かに向かって音楽を表現する事の意味はなんなのだろう。 もう高校生ではない。楽器が上手い事や、「こじゃれて」「かっこいい」音楽ではなく、自分自身でなくては伝えられない音を出していきたい。ここに、そのひとつのかたちがあるように感じたのだ。