東京駅発07:12の山形新幹線「つばさ」は、10:06に山形駅に到着。すぐに出羽三山のある庄内地方へ向かった。最上川の上流にあたる地域に月山湖ダム・月山ダムなどをすぎてゆく 庄内地方の名産といえば柿。この巨大な柿は百万円だそうだ↓ 羽黒山の巨大な鳥居がみえてくる ここは出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)の三神をあわせて祀る三神合祭殿がある。雪深い冬にはここまで来るだけで御利益を得られるということ? 江戸時代までは神仏を合わせて祀っていたが、明治期の廃仏毀釈で仏教寺院はそのほとんどが改宗または壊滅させられ、仏教建築も壊されてしまった。なので境内に残る仏教の鐘楼が異彩を放っている。 鐘楼は1617年江戸時代に造られたものだが、ここに釣り下げられた梵鐘の由来は一回目の元寇・文永の役1274年に遡る。付加されていた解説文に少し書き足す→「鎌倉幕府から依頼されて戦勝を祈祷をしたところ、近くの鏡池から九頭竜王の影が出て酒田湊方向へ飛び去った。すると、蒙古の船は海中に没した。これにより鐘を寄付された。」鐘には建治元年(1275年)八月二七日の銘があるそうだ。 すぐ近くに、その九頭竜王が出でたという「鏡池」。周囲百メートルほど。池の向こうに社殿。 この池に大正時代にかけられた橋を撤去する際に、数百枚の銅鏡が発見された。 「昔は13歳になると山伏の様に修験道をさせる習慣があって、無事にそれが成就すると御礼で母が池に鏡を奉納する習慣があったんだそうです。」と、ガイドさん。 鏡は平安から江戸までと幅広い時代にわたっているそうだ。 ううむ、どんな鏡か見てみたい。近くの「出羽三山歴史博物館」になら所蔵しているのではないか、と足を向けた→お昼ご飯においしい月山筍のそばを食べちゃったので、入館するまでの時間はないが… 「ここに銅鏡は展示されているのでしょうか?」と訊ねると、入館もしない輩に親切にいろいろお答えくださった。「ずらっと四十枚ほどならんでますよ」とのこと。よし、次回(いつ?)は、じっくり見てやろう。解説リーフレットだけいただきました↓ ふと見ると、巨大な破風の部分が建物の横に立てかけてある。改修で取り外されたものらしい。こういうのこそ見て面白いものなのだけれど… **出羽三山の開祖は第三十二代崇峻天皇の第三皇子だった蜂子(はちこ)皇子と言われる。大化の改新前の話。崇峻天皇は仏教推進派の蘇我馬子(叔父であり義理の父)に暗殺されてしまい、逃れてこの地にやってきた。 京都北部の由良川を経由、日本海から上陸したところには、今も同じ名前の地名が残っている。 ここで三本足のカラス(八咫烏)に出会い、導かれ、洞窟を抜けて出たところが羽黒山だったというのだ。境内にある碑がそれをあらわしている→ 蜂子皇子の墓とされている場所→ここは宮内庁の管轄で、最近まで守衛さんも置かれていたそうな。これが今は誰も使わない小屋→
もともとの参道だった2446段の石段への鳥居。 降りるといっても楽じゃありません。
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午前中よりも月山の山容がよくみえた↓
志津温泉はしずかな山里。ロビーを入ると現代的な落ち着いた空間↓
夕飯には、名物の「月山筍」がいろんなかたちで登場。堪能しました↓
さあぁ、明日は、湯殿山神社の朝詣り。05:20出発であります。