ガリシア地方への入口となるセブレイロ峠標高千三百メートルほど。
巡礼用の宿「アルベルゲ」 巡礼キャラクターXACOBE(ヤコベ)くん~ガリシア語の綴りですね
タコはガリシアの名物料理。タコ料理をだすところを「プルペリア」と呼ぶ↓
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さらに二時間ほど走って、サンチャゴ大聖堂が見えるところまでやってきた。巡礼たちがはじめて見るサンチャゴ大聖堂に歓喜の声をあげたのでこの名前になった。
ここには、1990年代にヨハネ・パウロ二世法皇もあったので、それを記念する巨大なモニュメントがある↓
はじめ、我々はここで下車したのだが、このモニュメントの場所からは大聖堂らしきものがみえない?はて?どこに
近くでサッカーしていた若者に訊くと、「えっと、ここからは見えない」しばらく下まで案内してくれて、「あの木の向こう。『二人の巡礼像』からがいちばんよくみえる」と言った。
二百メートルほど離れた丘の上に、その『二人の巡礼』像が見える。じゃ、あそこまで歩いていきましょう↓
バスは回送させたこの周辺には八百人もの人々が宿泊できる。キャンプも。彼らは翌朝早くにサンチャゴへ向かうのであります。
あ!あそこだ↓
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大聖堂すぐ前のパラドールへチェックイン。部屋へ行く途中にある回廊。
夕食はメインダイニングにて。19時半からOKだった。アメリカ人や日本人などが多いのだろう↓
やっぱりこの一皿はここで食べたい↓
午後九時、日が暮れる。パラドールもライトアップしている↓
レオンを出て西へ向かうとアストルガここは古代ローマ、それ以前から人や物の南北の移動ルートだった「銀の道」が、東西の巡礼路と交差する場所。でも、今回は思い切って通り過ぎる選択をした。それよりも、巡礼路を少し歩いて感じる時間をとることにした。
レオンは海抜八百五十メートルほど。ガリシアへ向かう峠は千三百メートル以上ある。雪山が美しく見えてきた。
歩き出す前にどこかで休憩しておこう。バスが止められるカフェがあった「サンタ・コロンバ・デ・サモサ」村↓
どこかアメリカ南部の西部劇に出てきそうな教会もある↓
カウンターの後ろに貼ってあった宣伝が目についた
どれどれ?ここでつくったサラミとチーズを売っているののか↓
通じない言葉でいろいろ訊ねると、わざわざ真空パックをひとつ開封して試食させてくれた↓
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フォンセバドン村入口でバスを降りる。前回2012年から五年ぶり。入口がきれいに舗装されていてびっくりした↓当時はまだ「廃村」と呼ばれていて、ほんとうにそのとおりだと感じられたが、今はこぎれいな宿泊施設が何軒もできていた↓
★※五年前の様子は→こちらの日記からご覧ください。アストルガの様子もごらんいただけます。
村を通り
野草が花咲く丘をのぼってゆく。車の通る道と巡礼の道とは、時々交わりながら並走している。しかし、歩くのに疲れたからといってすぐに車に乗れるようにはできていない。また、歩くための道でなくては、こういう雰囲気は感じられないだろう。幸い今日は風もなく、おだやかに晴れている。空気は冷たく陽射しは山の上の様に強いけれど。
後ろからやってきたフランス人女性のグループ。彼女たちもわりに軽装。「ちょっとだけ巡礼路」という感じか。日本の街道歩きのように何回にも分けて歩く旅もよく企画されているのだ↓
バッグにはサンチャゴ巡礼の象徴・ホタテ貝とサンチャゴ騎士団の十字架↓
二キロ半程度の道を一時間かけて歩く。バスの待っている「鉄の十字架」が雪山を背景に見えてきた↓
この十字架の周りの石は、ひとつひとつがやってきた名もない人々によって運ばれてきたものだ。何世紀もかけて、こんな小山になったのである。ひとつひとつに書かれた文字を、十字架に張り付けられた写真を見ていく。亡き人を偲んでやってきた人も多い。
バスに乗り、また村の細い道を抜けながら下る↓
昼食は、五年前には宿泊したポンフェラーダの街にした。古城の前で下車↓
ここはエルサレムを守護していたテンプル騎士団がつくったお城である。今回は訪問予定にいれていなかったが、せっかくだから中へも入っていただいた↓
みつくろって入ったお城前レストラン、ここの料理が意外にも(失礼)いけている。特にアスパラガスは上物!同じアスパラと書かれていても、どんなものが出てくるか、食べてみるまでわからないもの↓
午後はいよいよサンチャゴへ入る