このページでは、三月一回目と、四月二回目の両方の写真を載せます。
池田湖・四月↓
日本最西端、西大山駅の「幸せの黄色いポスト」三月↓
通称「釜蓋神社」 鳥居から拝殿まで短い距離だけれど、頭に釜蓋を乗せて歩ききり、お賽銭をいれましょ こちら、小さな釜めがけてコインを投げております
こんな看板があるのも九州南端ならでは↓
***宿泊した白水館の、朝のお見送りシーン 敷地内の「薩摩伝承館」↓
★余談★↑この伝承館、小松はまだ見たことがない。 で、ここで何が見所なのか、いままで何人も訊ねてきたのだが、これまで一度もぴんっときたことがなかった。
今回、白水館のチェックイン時に受付をしてくださった若いホテルマンのMさんが、はじめて「見た見たい」と思わせてくれた。「私は薩摩切子が素晴らしいと思いますよ」と、自信ありげに言う。彼本人が薩摩切子が大好きだというのが、その言葉ににじんでいたので、もう少し押してみた。すると・・・
Mさんははじめ薩摩切子の職人になりたくて弟子入りしていた。ところが職人になるには視力が充分でなく、親方からあきらめるように直接引導をわたされてしまった。そして「英語が喋れるのなら、それを生かせる仕事につけ」と言われ、ホテルマンに転進したというのだ。
世の中、志した道を邁進できる人ばかりではない。何かに積極的に取り組む人は挫折なしに生きてはいけない。だが、それは無駄ではない。ホテルマンになったMさんが、小松を伝承館を見たい気持ちにさせたのは、彼の言葉に、人生に裏打ちされた説得力があったからである。
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知覧は陸軍の航空基地があったが、今はその痕跡もない。わずかにこの弾薬庫と給水塔が残るだけ↓
知覧の特攻平和会館では、三十年前はじめて訪れた時には理解できていなかった事々にも出会えた。
武家屋敷は、とても美しく保存されている。これで下級武士の住まいだったのだそうな↓
左右で使われている石の材質が違う。これも家柄の違いなのだそうだ。
武家屋敷エリアを下調べしていて、小松がいちばん見たかったのは、実は武家屋敷そのものではなかった。その近くを流れる川にかかる古い石橋。嘉永五年、黒船来航の前年に建造されたものだった↓ 橋というのは洋の東西を問わず、合理的なカタチを追及すると同じようになるらしい↓
鹿児島エリアをゆっくりまわる時間までは、ない。一回目三月は晴れて雲が高かったので、城山の展望台へのぼった↓
途中には西郷隆盛が西南戦争で最後の数日を過ごした洞窟も見られる→
二回目、四月は雲が低く、眺望が望めそうもなかったので、「維新故郷館」を見学。駐車場から橋を渡る↓西郷隆盛が実際に使っていた名前のひとつ「南洲」の名前がつけられている↓
シアターで人形を使ったショーを見学→ 展示はよく工夫されている。
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空港へ向かう錦江湾添いの道。薩摩藩がはじめた工場の為に雇った外国人のための洋館
尚古集成館と磯庭園、三十年前の国内添乗で何回となく訪れた場所。今回は充分な時間がなくて訪問を断念。次に鹿児島を含む《手造の旅》を催行するときに、是非ゆっくりと訪れたい。
★錦江湾沿い「西郷隆盛甦生の家」 僧 月照と入水自殺を企てて、自分だけが助かった時に甦生したと言われている家。 三十年前に鹿児島交通のガイドさんがしてくれたここの説明を、いまでもありありとおもい出す↓
三月の回にて、不思議な美しい虹が見送ってくれた↓