旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ここは「地の果て」フィニステラ(フィステラ『ガリシア語』)

2017-04-11 21:38:35 | スペイン

サンチャゴへの巡礼路の起点「0(ゼロ)㎞」は、意外にもサンチャゴ大聖堂ではない。 さらに西へ85㎞、巡礼日程で三日の距離にある「地の果て」と呼ばれるこの岬である。 その証拠がこの表示。「0.00.K.M」と表示されている↓


今回、北スペインの旅を企画するにあたり、「海へたどりつきたい」と、素朴に思っていた。 サンチャゴ巡礼を扱った映画「星の旅人達」(アメリカ映画)、「サンジャックへの道」(フランス映画)、を見ていると、共に海が出てくる。


なのに、どうして一般的なツアーでは海を見られるところまで行かないのだろう?


 そう思っていろいろ調べているうちに「FINIS(終わり)TERRA(大地)」と名付けられたこの岬が、巡礼の距離を測る起点なのだと知った。


 巡礼たちはこの岬にたどりつき、海に果て・世界の果てに沈む(死ぬ)太陽を見る。そこでぼろぼろになった服や靴を燃やし、新しい自分になった。 そう考えると、ぽつんと置かれたブロンズでつくられたこんなぼろ靴の彫刻も、その意味が感じられる↓


はじめは、「《手造の旅》ならば、『地の果て岬』まで行ってみようじゃないか」というだけだった。しかし、調べているうちに、灯台のすぐ横にある建物が小さなホテルになっているらしいと分かってきた。 それが下の写真右上に写っているホテル↓※翌朝撮影↓


★ここに泊まれたら…ここで世界の果てに沈む夕陽を見られたら、一生の記憶に刻まれる瞬間になるにちがいない。ホテルの部屋が少ないとか・設備がばらばらだとか、課題はあっても全部飲み込んで旅を楽しんでいただきたい。すでに予約していたホテルをキャンセルして、スペイン語の出来る友人に頼んで連絡してもらった。


ついにやってきた今日。岬の先にぽつんと見えるあの建物が我々が一晩を過ごす場所か↓


 灯台の前までバスを入れてそこから少し坂になる。ごろごろと荷物を運んだけっこう急坂。 スーツケースはSMARTでピストン輸送してくれた。


 チェックイン 部屋のカギは、存在しない。暗証番号を渡され、ドアノブのこのダイヤルに入力する。なんだか、セーフティ・ボックスみたい↓


 日本式の三階建てに部屋は八室だけ。大きさも設備もそれぞれ違う いちばん上の階は、実質屋根裏↓ 一人部屋はこんな各部屋、設備はずいぶん違うけれど、とにかく、「地の果て岬」の時間を楽しみましょう。


 ホテルの広いテラスから、灯台を望む↓


海岸はずいぶん下になるが、少し崖も歩いてみた。黄色いエニシダは棘が痛い。そこここに黒く焼けたあとがあった。今でも服や靴を燃やす巡礼はいるのだ。


ホテル 二階部分はこんな小さなカフェになっている↓


 夕飯は? はい、これが思うよりずっと手の込んだコースを用意してくれていた↓


   ガリシア名物 マテ貝!↓


サン・ジャック(ホタテ)も↓


 


メインにはやわらかい肉  


ゆっくり夕食をおえる21時少し前、夕陽が沈む時間が近づいている。外へ出て、その時を見守る。風は穏やかでそれほど寒くはない。ガリシアの地の果てももう春。いや、初夏の様にさえ感じる。



★サンチャゴ大聖堂で特別なミサに使われる巨大な香炉=ボタフメイロ本物は銀製です。

※大聖堂の天井に届かんばかりに揺らされるボタフメイロを撮影した動画をこちらからごらんください(オルガンの音が出ます)
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ムーロスでお昼を

2017-04-11 16:40:12 | スペイン

《手造の旅》北スペイン七日目。朝、サンチャゴを出発し、午前中パドロン見学。午後は海岸をドライブしながらフィニステラ=(「地の果てるところ」を意味する地名)の灯台ホテルを目指す。ガイドブックではほとんど取り上げられない場所ばかりなので、今日と明日の場所を、下記に拡大地図を載せ、訪れた場所を示します↓サンチャゴ・デ・コンポステラは、二つある✈飛行機マークの下の方です↓

ガイドのルイスさんと相談して、天気とも相談して、行程を決める。パドロンからリアス式海岸を形成する半島を超えてNOIAでふたたび海に出たここはずっと漁村だったが、巡礼たちが使った中世以来の港として一千年の歴史を持つ。市の中心部に旧市街が残っているのだが…今日はちらっと車からみて 入江をはさんで向こう側のMUROSへ向かった。

MUROSも同じように漁村で、かつての巡礼の港で、現代のリゾートタウン

そして、このあたりの海ではムール貝がたくさん養殖されている 調べてみると、スペインは海産物をたくさん出荷しているが、それは地中海よりもこの大西洋に面したエリアであることが分かった。※地中海の方が塩分が濃いのでプランクトンが少なくて、それによって漁獲高も大西洋沿岸の方があるとのこと。スペイン海産物の本場、いただきましょう(^.^)

まずは、定番の●ガリシア風タコ↓柔らかさばつぐん

●ザンブリーニョ ホタテガイの小さいものをこう呼ぶ。なんでも、養殖過程で間引きされたものなのだとか。それゆえに小さ目だけれど、味は劣らない。これ、今回の旅で何度もいただきました↓

もちろんムール貝も↓

感動的においしかったのは●アンコウのグリル まるで肉のような味わいで、身がほろほろしている↓

おなかいっぱいでも、町はみておかなくては。旧市街は魅力的な小路がいっぱい↓午後三時ぐらいはひっそりしているが↓

二階建ての小さな市場の建物↓

ガリシアの海産缶詰の工場も近くにある。ショーウィンドウ↓日本までは出ていかない小さな会社がたくさん。

高台の教会へ↓

ここが町のひとつの中心であった。ロマネスクのあとにゴシックで改築されるという、このあたりの教会でよくある歴史をたどってきたようだ↓

**

ガリシアの特徴的高床式倉庫オレオ↓古い石造りのものも、新しいコンクリート製のものもある↓

いよいよフィニステラへ↓

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パドロン~ヤコブが最初にやってきた町・葬られた町

2017-04-11 09:54:12 | スペイン

サンチャゴから三十分ほどで、古代からの町パドロンが見えてくる。古代の名前はIRIA FRAVIA。この名前、紀元後一世紀ローマ皇帝のフラヴィウス朝に由来する。同じ名前の小さな村落もまだ残っている↓こういう教会を覗いてみたくはなるけれど、全部はとてもむり…



古代からこの名前だったSAR川は、今は小さな流れ。かつては港だったそうだが、そんな痕跡はどこにも見られない↓





旧市街の中心部が「聖週間」で通行止めだったので、少し大回りしてバスを止める。歩き出した道はずいぶん古そうな部分が見える↓


やがて、丘の上に教会と「アルベルゲ(巡礼宿)」が見え、その下には伝説の「カルメンの泉」が今も水を流し続けている↓



この噴水の上部の像は、ヤコブがはじめて布教にやってきたとき、最初にこの地の女王ルパを洗礼してキリスト教ととなった伝説をあらわしている。彼女が改宗することでやっと信徒が集まりだしたのだった↓下に刻まれた浅浮彫の話も大事




この地をはじめ、イベリア半島で布教活動をしたヤコブは、やがてパレスチナに帰国。そこで殉教してしまう。



二人の弟子は師匠ヤコブの遺体を船に乗せ追放された。※遺体への崇拝をさせないため やがて小舟は、かつてヤコブが布教をしていたこの場所へ自然と川を遡ってきた。嵐になった時、石の柱に石を結わいつけて師匠の遺骸と共に上陸した。



シル川を渡ってすぐのところが葬られた場所で、教会になっている。ここがあるから、巡礼たちはやってくるのだ。内部、主祭壇の下に、ヤコブの遺体を載せた小舟を結わいつけたとされる石の柱がある↓





刻まれた文字の意味は判読できていない↑ 祭壇の上にはヤコブの像。指で何か持っている↓




 


「ここに、ヤコブの遺体があった」と書かれ、そこを指さしているのだ↑


 


壁には天使が船を結わえる様子↓


 



 


ヤコブが女王ルパを洗礼する様子↓


 



 


説教壇は古い手の込んだ石彫。フォンセカ家の五つの星の紋章が刻まれている↓


 



 


 教会を出て町を少し歩く。広場に、さっきの石のレプリカが置かれていた↓


 



 


***川沿いの公園で、おじさんたちが石投げの遊びをしているのに出会った↓


 



 


投げて、十字架に当たればよいのか。当てた人に拍手をすると、「やってみなさい」とさそわれた男性が挑戦↓


 



 


これがけっこう難しいのです(^.^)


 


再び川を渡り、さっきの噴水の前を通り、バスへ戻る↓


 



 


途中でこんなプレートを見つけた↓


 



 


※彼について少ししらべてみた⇒こちらからお読みください。


 


19世紀のスペインからは、中南米で活躍する多くの人材が出ている。あたりまえのことに、ガリシアの小さな村で気付かされた。


 


 

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