旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

奥琵琶湖長浜~冷水寺の胎内仏

2020-09-05 07:00:59 | 国内
焼け焦げた像が姿をあらわすと「その場にいた二十人ほどが思わず手を合わせました」

冷水寺の(世界一小さな)「胎内仏博物館」が何を語ろうとしているのか、訪れてはじめて知った。


冷水寺は田んぼと住宅が混在する一角に残る小さなお堂である。

かつて宇根野寺 安浄寺という天台宗の大きな寺で、伝承によると本尊は行基(七世紀末から八世紀前半、奈良の大仏建造のための勧進役で有名)が刻んだものと伝わっていた↓

★この紙芝居は現館長の西嶋さんの手作り(^.^)

だが1583年(天正十一年)賤ヶ岳の戦いで寺ごと焼かれてしまった。

焼け焦げた像。
それでも村人たちは小さなお堂をつくり、無残な姿を「誰も見てはならぬ」と秘仏になった。

お堂は開かれないまま百数十年が過ぎた。
江戸中期1702年のある日、扉が自然に開いた。
村人は焼け焦げた像を納める「鞘佛」をつくることにした。

それが、今見えている十一面観音。

**
さらに三百年ほどが過ぎた1996年、お堂の改修が行われることになり、仏像も調査することになった。
中に何かが納められているという伝承はあったが、誰も中を見たことがなかった。
本尊の台座をあげてゆくと…★冒頭の写真

何百年も何代も経てゆくうちに物事は忘れられてしまう。
像をしらべていくと、行基がつくったものだと推察される物証がでてきたそうな。
「この出来事を伝える博物館をつくりたい」
現代の村人たちがそれぞれの技やお金を持ち寄り

上の写真の背景にある(世界一小さな)博物館ができたのだった。

前出の十一面観音の中には、今でも焼け焦げた胎内仏が納められている。

***
お堂には他にもいくつも木像が納められていた。

上の写真に写っている四つの神像は「観音の里資料館」に展示されているのを見た。
明らかに仏像とはちがう、どこか大陸的な雰囲気がある。

お堂の隅にも、由来の定かでない古い仏像がいくつも見えた。

いったいいつごろの?
どこにあった?
何の像なのか?

コメント
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