焼け焦げた像が姿をあらわすと「その場にいた二十人ほどが思わず手を合わせました」
冷水寺の(世界一小さな)「胎内仏博物館」が何を語ろうとしているのか、訪れてはじめて知った。
*
冷水寺は田んぼと住宅が混在する一角に残る小さなお堂である。
かつて宇根野寺 安浄寺という天台宗の大きな寺で、伝承によると本尊は行基(七世紀末から八世紀前半、奈良の大仏建造のための勧進役で有名)が刻んだものと伝わっていた↓
★この紙芝居は現館長の西嶋さんの手作り(^.^)
だが1583年(天正十一年)賤ヶ岳の戦いで寺ごと焼かれてしまった。
焼け焦げた像。
それでも村人たちは小さなお堂をつくり、無残な姿を「誰も見てはならぬ」と秘仏になった。
お堂は開かれないまま百数十年が過ぎた。
江戸中期1702年のある日、扉が自然に開いた。
村人は焼け焦げた像を納める「鞘佛」をつくることにした。
それが、今見えている十一面観音。
**
さらに三百年ほどが過ぎた1996年、お堂の改修が行われることになり、仏像も調査することになった。
中に何かが納められているという伝承はあったが、誰も中を見たことがなかった。
本尊の台座をあげてゆくと…★冒頭の写真
何百年も何代も経てゆくうちに物事は忘れられてしまう。
像をしらべていくと、行基がつくったものだと推察される物証がでてきたそうな。
「この出来事を伝える博物館をつくりたい」
現代の村人たちがそれぞれの技やお金を持ち寄り
上の写真の背景にある(世界一小さな)博物館ができたのだった。
前出の十一面観音の中には、今でも焼け焦げた胎内仏が納められている。
***
お堂には他にもいくつも木像が納められていた。
上の写真に写っている四つの神像は「観音の里資料館」に展示されているのを見た。
明らかに仏像とはちがう、どこか大陸的な雰囲気がある。
お堂の隅にも、由来の定かでない古い仏像がいくつも見えた。
いったいいつごろの?
どこにあった?
何の像なのか?
冷水寺の(世界一小さな)「胎内仏博物館」が何を語ろうとしているのか、訪れてはじめて知った。
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冷水寺は田んぼと住宅が混在する一角に残る小さなお堂である。
かつて宇根野寺 安浄寺という天台宗の大きな寺で、伝承によると本尊は行基(七世紀末から八世紀前半、奈良の大仏建造のための勧進役で有名)が刻んだものと伝わっていた↓
★この紙芝居は現館長の西嶋さんの手作り(^.^)
だが1583年(天正十一年)賤ヶ岳の戦いで寺ごと焼かれてしまった。
焼け焦げた像。
それでも村人たちは小さなお堂をつくり、無残な姿を「誰も見てはならぬ」と秘仏になった。
お堂は開かれないまま百数十年が過ぎた。
江戸中期1702年のある日、扉が自然に開いた。
村人は焼け焦げた像を納める「鞘佛」をつくることにした。
それが、今見えている十一面観音。
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さらに三百年ほどが過ぎた1996年、お堂の改修が行われることになり、仏像も調査することになった。
中に何かが納められているという伝承はあったが、誰も中を見たことがなかった。
本尊の台座をあげてゆくと…★冒頭の写真
何百年も何代も経てゆくうちに物事は忘れられてしまう。
像をしらべていくと、行基がつくったものだと推察される物証がでてきたそうな。
「この出来事を伝える博物館をつくりたい」
現代の村人たちがそれぞれの技やお金を持ち寄り
上の写真の背景にある(世界一小さな)博物館ができたのだった。
前出の十一面観音の中には、今でも焼け焦げた胎内仏が納められている。
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お堂には他にもいくつも木像が納められていた。
上の写真に写っている四つの神像は「観音の里資料館」に展示されているのを見た。
明らかに仏像とはちがう、どこか大陸的な雰囲気がある。
お堂の隅にも、由来の定かでない古い仏像がいくつも見えた。
いったいいつごろの?
どこにあった?
何の像なのか?