旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ウランバートル市内~ガンダン寺、ウランバートル駅、恐竜博物館

2020-09-21 08:51:45 | モンゴル
2008年《手造の旅》モンゴルより


ウランバートルでいちばん大きな、つまりモンゴルでもっとも重要なチベット仏教の寺院である。
1788年から60年にわたって寺院が移動しなかったことによってイル・フレー(現在のウランバートル)という定住都市が建設されていった。※遊牧民族であるモンゴルの民は18世紀当時、寺も王宮もすべて移動するのが普通だった

政教一致だった1910年代のモンゴルでは宗教指導者=国の指導者。
この寺院でもっとも印象に残るのは巨大な観音像。

足元には生き仏の写真。みあげると・・・

高さ二十五メートルもある。

もともとの像は二十世紀初頭、短期間独立していたモンゴル・ウルス(モンゴル国)のボグド・ハーンが支配した時代につくられた。
1930年代にソ連の強い影響下に入った時に国中の寺院が壊され、この像も一度この時に壊された。だが、寺院の裏にあった柱のひとつが「のこぎりを入れられた時に血を流す」という奇跡が起こり、中断された。
今もあるその「血を流した柱」はなんだか電柱みたいなのだが、そんな伝説が残されている。

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ウランバートル駅はシベリア大陸横断鉄道の支線にあたる。北京まで三十時間ほどになるそうだ。

ホームまで自由に入ることができる。

「電車」ではない

一日にそんなに数がくるわけでもない鉄道駅。待合室に日本と関係のある本が二冊売られていた。

マンガ「スラム・ダンク」と新渡戸稲造の「武士道」とは、すごい組み合わせです

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自然史博物館、恐竜博物館。
モンゴルは恐竜化石がたくさんでる。

この方面の研究をするためにモンゴルへ来る人もあるほどに。

★1992年はじめてモンゴルを訪れた時、開いているはずの博物館が閉まっていたので「どうして?」と質問すると、「民主主義だから」と返事がかえってきた。
民主化がはじまった当時、商業自由化で急激なインフレが起こった。観光客などまだ少ない時代、国民にとって博物館などどうでもよかった。安い公務員賃金ではやっていけない職員たちはがらんとした博物館にいても金にはならず、さまざまな自活をしていた。
職員たちの事情で博物館が突然閉められることは、彼らにとっては「民主主義」だったのである。

コメント
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