旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

奥琵琶湖長浜~竹連寺、黒田観音、医王寺

2020-09-06 09:27:54 | 国内
●竹連寺は大正九年に建てられた小さなお堂である

もともと近くにあったお堂はなくなり、今の場所に移された。

この写真が撮られた時代のような人口はなくなってきているが

今も人々によって守り続けられている。
ご案内の方が連絡してくださっていたのでお堂をあけて、世話役の方四人でお待ちくださっていた。

陽射しは強く湿度は高かったが、今日は9月1日。
少し高くなったお堂を湖からの風が吹き抜けた。

祀られているのは平安時代中期とされるお像。

伝承によると「川から流れてきた」となっているのだが、これがそうなのか?
由来はよくわからない。
村の人々がずっと大切にしてきたことだけが確かである。
鮮やかすぎる台座は別のところから買ってきたと話されていた。
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●通称「黒田観音」は七軒ほどの集落にある

いつもは閉めているお堂を開けに、農作業を中断してきてくださっていた。
お堂を開け、幕をひらくと,,,驚いた

※絵葉書より
二メートル近い迫力ある像が目の前に現れた。
後補はあるにしても欠けた部分の無い、バランスがとれた無理のない形状である。
いったいどうして?これだけの像がぽつんと一体だけここに残されているのだろう?
四年ほど前に東京で行われた長浜観音の展覧会に出展されたが、「もうだしません」とおっしゃっている。
これだけの像がひっそりとここに仕舞われて人目にふれないのは実にもったいない。

黒田官兵衛の家はもともとここの地名から家名をとった黒田宗清という人物からはじまるとされている。

ゆかりの誰かのものと思われる墓もある。

***
●医王寺は山道の途中にあった。レンタカーで行かなくてよかった。今回訪れた場所はどこも行き慣れていないとたどり着けない。事前に連絡しておかないと拝観することもできない。

十一面観音は端正なお顏だち※図録より

長浜の北東に位置する己高山(こだかみやま)にあったたくさんの寺院が戦乱で破壊され、続く平和な江戸時代を過ぎて明治の廃仏毀釈でまたも行き場を失った仏たちは多い。
医王寺の住職はそんな一体が古道具屋で売り出されていたものを救ってここに安置したのだそうだ。
「ということは、ご本尊はどちらに?」
後ろに見えた黒い屋根が本堂だった。

こちらはほとんど公開していない。
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これらの仏像が拝観できるのはあたりまえのことではない。
拝観料などは維持するための費用のごくごく一部にしかならない。
それぞれの場所に住む志ある人々の献身に支えられて今日まで生き延びているのだが、次の百年をどのように維持していくのか、考えなくてはならない時期にきている。
コメント
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