旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ボグド・ハーンとその妻の宮殿

2020-09-25 14:23:09 | モンゴル
2008年《手造の旅》モンゴルより
「生き仏」だが結婚して、モンゴルの君主だったボグド・ハーンの彩色写真が冬の宮殿に飾られていた。

1911年辛亥革命で清朝が倒れると、支配下にあったモンゴルは宗教指導者だったジェプツェンダンパ・ホクトク八世を君主「ボグド(聖なる)ハーン(王)」として独立した。

彼らの住んだ冬の宮殿は1893年から1903年にかけて建設された中国式の建物。
チベット生まれのガワンロサン・チューキニマ・テンジンワンチュク少年は「生き仏」の名跡ジェプツェンダンパ・ホクトクの生まれ変わりとしてダライラマ十二世に発見され、歴代のジェプツェンダンパ・ホクトクと同じようにモンゴルに入った。

※ロシア人によって撮影された1896年28歳ごろの彼の写真 Wikiより
このころ、後に結婚する19才のテンジン・ドンドグラムとエルデニゾー修道院で出会ったという解説がネットにあった。
本来結婚などしないチベット仏教の僧に、なぜ可能だっただろう?
1902年に結婚した二人が住んでいた宮殿がここ。息子もいたそうだ。

北京と同じような儀礼的空間をすぎると、実際に住んでいた雰囲気がある部屋があらわれる。

散逸をまぬかれたものが展示されている。

この御璽はほんものかしらん?

クロテンの皮136枚が使われたガウン

王妃テンジン・ドンドグラウの服

地方の藩王から贈られたレオポン(ここでは雪豹?)の毛皮で飾られたゲル。
遊牧しなくなったモンゴル宮廷においても、チンギス・ハーン以来の伝統は大事に受け継がれていたのか。
屋内には似合わないゲルは、天気の良い日にだけ屋外に設営されたのだそうだ。

これは輿ですね。

辛亥革命が起きなければ清朝支配下の朝貢国君主の一人として平穏に終えた人生だったのかもしれない。

清朝に代わり中国の支配者となった中華民国と、ロシア帝国に代わった社会主義ソ連の狭間で翻弄されたモンゴルは1921年に社会主義国として再出発する。社会主義国にはあり得ない君主だが、ボグド・ハーンとその妻はその後も「社会主義君主」という矛盾した言葉ででも形容するしかない立場でこの宮殿に住み続けることを許された。
妃は1923年に没。
ボグド・ハーンも翌年に崩御した。
次の「生き仏」の名跡ジェプツェンダンパ・ホクトクを選ぶことは、社会主義モンゴルには認められなかった。

コメント
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