旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

シャルトルからディジョンへ

2015-06-22 02:44:28 | フランス
《手造の旅》フランス~今回の企画のいちばん最初からの目的地としていたブルゴーニュへ向かう日。

午前中はシャルトルの大聖堂を旧知のガイドさんにご案内いただきますやっぱり美しい「青い聖母」のステンドグラス。この聖母の部分だけが、焼けてしまった旧大聖堂から生き延びてここへ移植されたもの。日本の平安時代末期に製作されたもので、時代が古く。古いが、より美しい。

朝からちょっと、こんなもの食べちゃいました

午後は長いバス移動になるので、お昼ご飯をたっぷりおいしく。「茄子のコンポート」とメニューにあったひと品。甘いオニオもしっかり感じられました(^^)
デザートに「パイナップル」・・・きてみないとどんな風に出てくるかはわからないものです

***
四時間ほどのバス移動で、ブルゴーニュ地方の中心都市ディジョンへ到着。ホテルはどうしても旧市街にとりたかったので、バスが真ん前まで入れない。
ポーターさんとドライバーさんで数百メートルを往復して運んでもらったスーツケース。まぁ、十三個だから

まだまだ明るいから街を歩きに行きましょ。
明日午前中にも徒歩観光はするけれど、事前に一度見ておいた方が説明されたことがあたまにはいってくるのです。

ここはブルゴーニュ公爵の宮殿。
シンメトリーをぶちこわすようにたっているフィリップ・ル・ボンの塔

※なぜ、こんな風になったのか?翌日のガイドさんに説明してもらって理解しました。

ノートルダム教会この教会の路地に、ディジョンのシンボルとなっている「ふくろう」がおります。これが、それみんなになでられて、すっかりすり減ってます。

****
21時をまわり、そろそろお腹も減っている。
あまりたくさんもたべられない・・・店にはいれば時間もかかる・・・
ホテルのちかくで見かけたトルコのケバブにしましょか。

どどっと十数人の日本人がやってきて、閉店間際のケバブ屋さんはびっくりしたでしょう。でも、きもちよく丁寧につくってくれました。

ソースには「サムライ」というのがあったので試してみました。
あんがいいけました

22時少し前のホテル。

明日も晴れますように!
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シャルトル大聖堂のプロジェクト・マッピング

2015-06-21 18:06:50 | フランス
シャルトル大聖堂のライトアップを見ていただきたくてこの町に泊まる旅をつくる。ライトアップも近頃は進化してこんなカラーも可能になった。

一見「やりすぎ」に思えるが、中世の大聖堂はかつて日東東照宮なみのカラフルさで彩色されていたのが分かっている。


・・・シャルトル旧市街のホテルへチェックインしたのは午後五時頃だった。

少しだけ休憩して、街歩きに出発!
シャルトルは大聖堂だけでなく町並にもたいへん魅力がある。
大聖堂のステンドグラスだけささっと見る一時間だけでは、シャルトルの魅力を心に染みこませるには足りない。

キリスト教以前の古代から、川がとりまく小高い丘には神殿があった
川に沿って、庶民・職人の住宅がならび、丘の上の教会周辺には支配階級が住んだ。


今もたくさんの教会がありすぎて、全部の教会がきれいにされているわけではない
そのたたずまいもまた魅力があるのだが、ぺんぺん草がはえております。

★川に突き出した部分が削り取られている、教会だった建物がある
かつてのサンタンドレ教会は今はアートギャラリー。無料で雰囲気のある展示が楽しめる。


お昼に止まったフージェールでは「中世祭り」をやっていたが、シャルトルでは「音楽の日」だそうで、街角そこらじゅうでいろんなバンドが演奏している

夕方、みんなで食事をしていたカフェから、気付くと大聖堂が夕陽にあかくそまっていた。


22時過ぎ、夕暮れていよいよライトアップ、プロジェクト・マッピングがスタート。




シャルトル市内では、なんと26か所ものライトアップをやっている。これは大聖堂のもうひとつの扉部分。中世時代の彩色を再現している。

隣の大司教館=現美術館でも
昼間見ていたのとは別の世界↓以下は2006年のライトアップ写真より





↓シャルトルのシンボルとなっている「青い聖母」がファサード全体に映し出されるところが大好きだったのだけれど↓

↑より最新技術のプロジェクトマッピングに代わってからなくなってしまったのは少し残念。


きょうもよくあるきました(^^)
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MSMからフージェール経由・・・

2015-06-21 12:27:43 | フランス
誰もいない朝のモンサンミッシェル島内

ぜんぜんちがう顔をしている

人見知りしないかもめ

いつもと違う道を少し散歩
やがて、どっと人が押し寄せて、いつものMSMにもどる

:::シャルトルへ向かう途中にフージェールという街にとまった。
ここはかつてのブルターニュ国が国境の砦として建設した場所。

堅固な要塞が残されている

ちょうど「中世祭り」をやっていて、周辺のまちからいろいろな農産物を売りに来ている。
ワインじゃなくてブドウジュース、買いました(^^♪

町の中をあるいていて気になったのがこの塔、詳細はしらべきれていません

通りいっぺん以上のほんとうに面白い事を調べようとすると、
WEBであろうと図書館であろうと、その道のりは遠い。
いちばん良いのは、その町に詳しい地元のガイドさんに訊ねる事。
日本語が話せるとか、そういうことじゃなく、
自分自身が尽きない興味と探究心を持っていて、人にもそれを伝えたいと思っているガイドさん、
なかなかおりません。
⇒こちらにもう少し書きました。



***
午後のシャルトルへ続く・・・
コメント (2)
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ルーアン、ジベルニー、上陸作戦の海岸を経てMSM島内のホテルへ宿泊

2015-06-20 16:19:00 | フランス
《手造の旅》フランス9日~ブルゴーニュ、MSM,シャルトル
行程二日目。

ルーアンのホテルは駅のすぐ近く、ちょっと中も見てから行きましょ最近はどこの街にもある共用自転車
マルシュ広場の市場、当然チーズがたくさん 
近くの老舗チョコレート屋さんの看板はジャンヌダルクの火刑そこの名物チョコ「ジャンヌダルクの涙」を試食させてくれてます

きのうは入れなかった大聖堂中へシャルトルにあるのと同時期13世紀初頭と思われるステンドグラスが一部残されているなかでもこの作品は、ルーアン出身、19世紀の小説家フローベル(「ボヴァリー婦人」が代表作とされる)は、「聖ジュリアン伝」の着想をここから得ていたのか…
●聖ジュリアンが(予言のとおり)あやまって自分の両親を殺してしまうシーン↓

このステンドグラス全体は魚屋組合が出資したので、一番下に彼らの仕事のようすがえがかれている↓


きのう入れなかったサン・マクルーの不気味な中庭もちょっと覗いておきましょ


***
一時間ほどバスで走って、モネが後半生をすごしたジベルニーの邸宅と庭を訪問

今でもよく手入れされた庭

モネ自身がかんがえて作らせた水庭。これを見てから「睡蓮」の絵をみると、モネが描いていた様子がよく理解できるだろう

ここではできるだけゆっくり時間をとりたい。陽が照ると水面も木々も花も、にわかに色を変えてゆくから。


現在お土産屋さんになっているところが、かつてのアトリエ。天井から自然光が降り注ぐ


****
三時間ほどバスで走り、あの「ノルマンディ上陸作戦」が行われた海岸へ。五か所でいっせいに行われた上陸作戦のうち、ここオマハビーチでのみドイツ軍の激しい抵抗に遭い、アメリカ軍はこの日だけで三千人の犠牲をだしたとされている。彼らが葬られた場所はアメリカに寄贈され、戦士は祖国に葬られたかたちになった

記念碑には

日本軍との戦闘範囲も掲げられているアメリカにとって敵国だったのだから当然だ。日本のツアーがほとんどここを訪れないのもわからないわけではない。
だが、小松としては、祖国アメリカから遠く離れたノルマンディで命をおとしたアメリカ人が七十年前にもあったという事実を、自国の現在に思いを致しながら考えてみてほしいと思うのだ。

少し離れた海岸へ


*****
一時間半ほどでMSM(モン・サン・ミッシェル)が見えてきた

今日は島内のホテルとなった。部屋が狭くて設備も古い…と危惧していたのだが、改装して快適になっていた

ほっ。これならば島内のホテルでも問題ありません。
はじめて来られた方もあるので、定番のメニューとしました

食事の後、島内を歩く

かつてバスが走っていた道はほぼ撤去されたようだ


・・・23時。夜景を見たければこのぐらいの時間でないとね、空が深い紺色になる
島内のホテルなので、この景色をするに楽しむことができた。

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ルーアン大聖堂のプロジェクト・マッピング

2015-06-19 15:08:02 | フランス
《手造の旅》フランス~ブルゴーニュ、MSM,シャルトル、パリ。
羽田から出発当日。

午前十時半発のJL便をつかって午後四時過ぎにはパリに到着、そのままノルマンディのルーアンにむかう。
普通は二時間ほどで到着するのだが、今日は6月の週末、パリからたくさんの車が郊外をめざし、大混雑。ルーアン駅近くのホテルに到着したのは20時をまわっていた。
ルーアン駅はちょっとアールヌーボー調のデザイン


時差で眠くなる時間帯だが、今日はまだまだ寝るわけにはいかない。
ルーアン旧市街のホテル泊にしたのは夜のプロジェクト・マッピングを見ていただきたいから。
陽が長いこの時期、それは23時スタートになっている。
プロジェクト・マッピング前、まだまだ明るい旧市街を徒歩で楽む。


モネも連作で描いた大聖堂のファサードが
夜の「プロジェクト・マッピング」のカンバスとなる


陽が長いこの時期は23時からスタート。
今年のテーマ、前半は「バイキング」

八世紀にセーヌ川を遡って荒らしまわっていたバイキング。かつて存在した木造の大聖堂が焼かれるイメージとバイキング船。
フランス王シャルル三世は自分の配下に加える懐柔策をとった。これがノルマンディ公国のはじまり。

ノルマンディ公国からイギリス王家がはじまったので、ノルマンディの紋章は赤地に金のライオンが二頭。
※イングランドは三頭


**後半のテーマは「ジャンヌ・ダルク」
英仏戦争をトランプのイメージで見せる。

彼女を処刑したルーアンの街にとっては微妙なテーマ。ジャンヌの具体的なイメージや火刑の具体的な様子などは一切登場させずにストーリーを単会させている。歴史的事実を知らないとその意味しているところはわかりにくいかもしれない。
とにかく、美しいですが。

たっぷり三十分。23時半までがんばって見ていただいてホテルでバタンキューの一日でした。
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