北キプロス東海岸のファマゴスタを離れ、北岸のキレニアを目指す。キプロスには大きく分けて二つの山脈がある。北にあるキレニア山系は最高峰が千メートル少し。130㎞ほどの長さで東西にのびている。その中でひときわ印象的な形をしているの山、ペンタ・ダクティロが見えてきた⇒これは「五つの指」という意味
★伝説:昔々、水利にめぐまれなかったこの地方に水をひこうと、美しい女王が彼女に恋した怪力の大男ディゲニス・アクイタスを利用した。「みごと水路を引くことができれば、そなたと結婚しようぞ」という約束。大男はこの言葉を信じて働いたのだったが、完成後、(よくあるように)女王は約束を反故にした。怒ったディゲニスは、思わず山をつかんで投げ捨てた。その手の跡がこれ、なのだそうだ(^^)
*北キプロスは、南の人々からは「トルコ占領地区」と呼ばれている。山の上に「国旗」がひるがえる 北の海岸線が見下ろせる場所まで来ると、ベラパイス修道院はもうすぐだ バスを降りて少しあるくと、巨大な修道院がなかば廃墟になってあらわれた。
ずいぶん遅くなったけれど、すぐ前のレストランで昼食を。お店の方が特別おいしい魚を出してくれたこれ、日本の料理屋で出ても「おいいしい」と言えるレベルの一皿だった。・・・それなのに、忙しい「視察団」の我々は三十分も滞在せずに早食い。申し訳ありません
**ベラパイス修道院は「ベラ=良き」「パクス=平和」という意味。ビザンチン時代から存在したが、栄えたのはルジニャン王朝の時代。当時の家紋が入口に残されている水盤は古代の石棺を再利用している
巨大な集会場は、どれだけ多くの修道僧がいたのかを想像させる 地震で破壊されて往時の規模はもうないが、その栄光の名残を感じることが出来る。
***修道院からも遠く見えるキレニアの港、キレニア城へ向かう。そこにもルジニャン家が歴史を刻んだキレニア城がある。夕暮れて、いそがなくちゃ 中庭には小麦粉をひいたと思われる臼が歴史が積み重ねられている場所だ。牢獄に使われた一角に、どきっとする蝋人形が・・・彼が見下ろしている先にはお腹のおおきな女性がよこたわっている・・・これは、ルジニャン家のピーター一世の愛人ジアン。正妻の王妃が、愛人の子供を流産させようとひどい拷問にかけたと伝わっている場所だった。
いちばんの見ものは★世界最古の沈没船。※ちかごろイスタンブールでもっと古い船が発見されたとか… これはなんと紀元前三世紀末、アレクサンダー大王の頃のものだと推察されている。キプロスを代表する歴史遺産と言ってよいものなので、50セントコインのデザインにもつかわれている⇒
港を見下ろせる場所へのぼる 日本を出発してドバイ経由・・・長い一日でした
***バスへ戻る途中、どうしても気になったこのドーム。明らかに教会なのだが、はじめからこんな狭い場所を選んでつくったはずがない。下の階へ降りて寄り道をする・・・細い通路を抜けると・・・12世紀のロマネスク空間がひっそり残されていた。
はっとさせる小さな石のアーチがつくりだす空間。柱頭は古代からの再利用かもしれない。資料を読むと、ビザンチン時代からルジニャン家が支配した時代には、この教会は城壁の外側に位置していた。 その後、ベネチア支配時代に拡張された城壁の中にうもれるように残された、ということか。 城壁建設の時に壊されなくてほんとうによかった(^^)小松としては本日思いがけない収穫です(^^)
バスにもどり、首都ニコシア近くでグリーンラインを越えて南キプロスへ戻った 南から来た我々は北に宿泊することは認められていないのであります。