旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ドゥブロブニクを歩く

2015-11-05 12:32:57 | クロアチア
《手造の旅》クロアチアとアドリア海10日 七日目。
旧市街を出てすぐのヒルトン・インペリアルの朝
ロブリナッツ要塞がすぐ近くに見える。今日は終日歩く予定だから晴れてよかった。

さっそく城壁へ上る。下にナポリ人オノフリオが建設した噴水。これによって町は新鮮な真水にめぐまれるようになった

城壁は安全に歩くことができる

上から見る事で、まだ壊れたままになっている場所も多いのがわかる。これは、内戦というばかりではなく、18世紀の地震の後そのままになっていたものもある。

ふつうに家の洗濯物

世界遺産の街では禁止のはずだが、市民の生活はそう簡単にかえられない


海事博物館も入る

降りてくると、ギロチンのある広場には猫がいっぱい。写真右にうつっているのは「猫の餌のためにご寄付を」の箱


午前中ひらいている市場

ちょうど正午にはここに餌をまきに来る人があるのを、ハトも知っていて、時間近くになるとおそろしいほどの数がひろばをみおろした

ここで買いました

**プラッツァ大通りは元は海だった場所だからこんな広さでのこされた

「ユダヤ人通り」がある

めだたない場所だが、確かにメノーラ(ユダヤ教徒が使う七つの燭台)が刻まれた入口

今でも活動してるシナゴーグもある。ヨーロッパではチェコのプラハに次ぐ古さなのだそうだ。


この教会の横の壁には、「ボール遊びをしないように」と刻まれた文字

16世紀ごろらしい。
「クロアチアはだからサッカー強いんだよ」とガイドさん

午後二時に昼食を、さっきの広場のオープンテーブルでいただきます。牡蠣も有名だがこぶり

海老のリゾットや以下のフライなど、地中海沿岸で定番の料理がおいしい

おなかもいっぱいになったところで、路地をぬけて

城壁外側からロープウェイで展望台へ上ろう

夏場とちがってまったく待たなくても乗れた。クルーズ船からのバスもいない夕方。
晴れて町も見下ろせる




下って、再び旧市街の路地を歩く。けっこう高低差があるんです


**
夕食はヒルトンのすぐ近くにあるお店を予約した。
「まぐろを焼こう」というので、くれぐれも焼きすぎないように、お願いすると、ちょうどよいこのぐらいで出してくれた。

ギャルソンは「おれはもうちっと焼いたほうがおいしいと思うよ」と言い置いていったけれど、我々日本人にはこれでちょうどでした(^^)/
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ドゥブロブニク到着

2015-11-04 20:54:56 | クロアチア
《手造の旅》クロアチアとアドリア海10日 六日目午後。スプリトでゆっくり昼食をとってから海岸線をドゥブロブニクへ向かうボスニア・ヘルツェゴビナから流れ出してくるネレトヴァ川の河口付近は肥沃な水郷となっていている
日本の温州ミカンとおなじものをうっている売店に止って一袋買ってくれたドライバーさん展望台でみんなでいただきます。すんごく甘い!三十個ほどあったのがあっというまになくなりました

★ボスニア領はネウムという町ですこしだけ海まで領土を張り出しているここはかつてのオスマントルコ領。ドゥブロブニク共和国が、ヴェネチアと国境を接するのを嫌い、オスマントルコに譲った土地なのである。お金も税金も違うので、ここだけ物価が安く、観光バスはみんなここにストップする。日本、韓国、台湾、多いんですね
午後六時ちかく暮れてゆくアドリア海 午後七時少し前にドゥブロブニクの城壁が見えてきた今回のホテルはピレ門すぐ外にあるヒルトン・インペリアル。ここにゆっくり三泊するのが今回《手造の旅》のひとつのめだま荷物をおいて、さっそく旧市街城壁内へ散歩に出かけた。

明日も晴れますように
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スプリト旧市街を歩く

2015-11-04 11:24:00 | クロアチア

スプリト旧市街ど真ん中のヴェステブロ・パレスホテル。朝、部屋のまどから男性合唱がきこえてきた。覗いてみると、ダルマツィア海岸でみられる合唱隊が、われわれのゲストのためにうたってくれていたのだった。ディオクレティアヌスの墓だった教会の塔がすぐそばに見える ガイドさんに導かれて城壁すぐそばのマーケットへ。近くから手作りのラヴェンダー製品をうっている ●この旧市街が3世紀末にディオクレティアヌスの宮殿だったころの正門がこれ。四つのニッシェ(壁の凹み部分)には、ローマ帝国を分割支配した四人の皇帝の像があったと推察されている。


この門の上部には5世紀に教会がつくられ、なんと今でもそれは使用し続けられているのだそうだ。これがその窓部分。ロマネスクの小さな窓がその時代らしい※正午ごろに行ってみたくて再訪したが閉まっていた


この門の前には9世紀の司教グルグール(グレゴール・ニンスキ)の像がある> ※この像についての話をこちらに書きました  この道はローマ時代にはメインストリートとして馬車が行きかうひろさがあり、一段高くなった歩道が両側にあった。銀行を覗くと、当時の歩道部分が一段高くなっているの見えた


キリスト教徒を迫害した●ディオクレティアヌスの墓は、皮肉にも後年キリスト教の聖人を祀った教会にされた。しかし、建物そのものの構造は再利用されている⇒ 近くにたくさんあったギリシャの神々の神殿はひとつだけが残っている添乗はオリジナルだろう下におかれた洗礼盤は後年に元の祭壇の石を使ってつくられた


ディオクレティアヌス帝の宮殿地下にはもともとこんな太い梁があった 全体でこのような四角く効率的な宮殿だった


●しばらく自由に散策してもらってからホテルへ戻り、バスでドライバーさんが選んでくれたレストランへ行く今日の午後はドゥブロブニクへ走るだけ。ゆっくり時間を気にせずたのしみました


 

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スプリトのホテルは旧市街ど真ん中

2015-11-03 23:20:12 | クロアチア

スプリト旧市街ど真ん中のホテルヴェスタブロ・パレスは、小松の《手造の旅》にぴったりのホテルだった。

港の近くにバスが止まると、ホテルから案内の方がこられた。ついてゆくと、ディオクレティアヌス宮殿の入口に案内される。え、ここから入るんですか⇒ 地下千七百年前の宮殿地下を抜けてと再び地上に上がると、すぐそこがホテルの入口だった⇒ ロビーはシンプルだが居心地良い空間 ここはかつてディオクレティアヌス帝が、来訪者を迎えるレセプションルーム(ヴェスタブロ)だった場所にあたる。そうか、だからこの名前になったんだ。

全部で七部屋か八部屋。それぞれの部屋が違うデザインになっている。「え~、あの人の方が部屋がひろい」とか言わない皆様だから、こんなホテルが使えるのであります《手造の旅》。

部屋に荷物を置いたら、旧市街のレストランに食べに行こう。地元のパスタは「マカルン」という。同じ名前のレストランはこちら→

パスタは中が空洞になったうどんみたいなもの ロブスターの半身わるくないけど、刺身の方がほんとはよいなぁ。

紙に包んで焼いた魚料理 「何の魚?」ときくと、画像をみせてくれた⇒ サン・ピエトラという通称があるそうな。

それは、聖ペテロが指でつまみあげ、その跡が胴体の黒い点だという伝説がある。きけば、まぐろの倍はする高級魚だというのだが・・・まぁ、そこそこのだった。まぐろはまた別に食べましょう(^^)

**ホテルのすぐ近くに、もとディオクレティアヌスの墓所だった教会の塔が見える明日の朝は見学スタートだ。



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ユライ・ダルマツィナッツの残した教会

2015-11-03 16:45:30 | クロアチア

《手造の旅》クロアチアとアドリア海 五日目午後、夕暮れの一時間前に、シベニクの旧市街に到着。入り江の奥に位置する魅力的な町がひろがる。

かつての城壁が、現代的な建築の壁に埋め込んで保存されている そばには19世紀の劇場

そこからは細い道に入り、ヴェネチアのような路地が続くこういった町に共通した問題は真水の確保。雨水をためる貯水槽がまちのいろいろな場所にあった。フランチェスコはの修道院の屋上にはかつての貯水槽井戸の跡しかし、下は現在こんな洞窟礼拝堂に変更されている 水道が通ってから後にこのように変更されたのだそうだ。

シベニクの見ものは15世紀に石だけで建設された教会。世界遺産に指定されている⇒

16世紀後半、ルネッサンス建築がひろまりはじめた時代、ユライ・ダルマツィナッツはこの教会の第二代目建築主任に就任した。契約は五年だったが、入れ込んだあげく三十年わたりこの聖堂建築にかかわったのだから、この建物は彼の代表作と言ってよいだろう。

内部もすべて石造り いちばん奥右手の階段を降りると、彼自身が直接彫った彫刻でいっぱいの洗礼堂がある⇒ 外からの自然光を最大に生かした彫刻の妙!

・・・続く

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