《手造の旅》クロアチアとアドリア海 四日目 午前
プーラ郊外、海に面したリゾートの朝
イストリア半島の南端プーラにはローマにもまけない巨大な円形闘技場が残されている。今日はじめて見て、ローマのコロッセオをはじめて見た時の衝撃を思い出した。

町の人口は当時五千人ほどだったが、このアレーナは二万三千人を収容できる大きさがある。それだけ外からの人がこの競技場めあてにやってきていたということなのだろう。
現在のイタリア方向からフラビア街道、クロアチア方向からタルサティア(リエカの古代名)が交わる場所。
※世界に三百ほどつくられた円形闘技場のうち六番目に大きいとされる。一位のローマから、
二位カプア、三位チェニジア、四位アルル、五位ヴェローナ。 紀元後一世紀だからローマのコロッセオと同時期に建設されたものだがローマが十年かからなかったのに対し、こちらは四十年かかった。皇帝でいうとアウグストゥス、クラウディウス、そしてヴァスパシアヌスの時代まで。
すぐ横からは古代の街道石畳が発掘されている
今日我々が入場するのも、古代の入口
「おお~」っと、思わず声が出る
視界をぐるりととりまく古代の石壁。 その接合部には鉄と鉛がはめ込まれていて中世にはこれを目当てに破壊された箇所が多い
しかし、ペストが街を襲い、人口が数百人にまで減少。このアレーナの外壁は救われたのだと、ガイドさん曰く。

長径132.45メートル、短径105メートル、高さ32.45メートル。七十二のアーチがあり、二万三千人を三十分で入退場させることができた。現在一万人規模のコンサートの入退場に一時間はかかるのは、チケットを切ったり出入り口をしぼっていたりするからだろうけれど。
三階層に分けられた席のいちばん上部は木製のバルコニーが張り出していて、女性と奴隷用だった。外側からの階段があり直接そこへ入った。コットン製の日よけ天蓋が上部を覆い、その布の色がフィールドを染めて美しかっただろう。
アレーナの地下へ今でも入ることが出来る
周辺で発掘されたものをぼんぼん入れて倉庫になっていたので、アレーナに関係ないものもたくさん展示してある。
再び地上

「剣闘士は負けると殺されたんでしょ?」
「いいえ、負けてもプロの剣闘士は殺されはしませんでしたよ。あの地下通路から出て、すごすごでていくだけ。『剣闘士養成所』が、あの黄色のビルのあるところにあったのよ」
なるほど、奴隷ではなく剣闘士は費用をかけて育てるスターだった。
★ふと気付いたのだが、このアレーナの周囲には、高いたてものがまったく見えない。これ、なにげないけれど、すごい景観規制が実行されているのです。
四つの塔があった部分が突き出している
一部を白く修復するためにEUからのお金が使われたのだが、それがなんと70万ユーロ!(聞き間違いでないと思いますが…あまりに巨額)
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街の復元図
水が噴き出しているところまで上水道がひかれていた。
アレーナから旧市街へ向かう。現在オーストリア支配時代の要塞がある丘をぐるりと囲むように城壁があり、十二の門があったそうだ。ジェミニ門(双子門とも二重門とも訳されたものあり)
現在の城壁は古代の墓石や柱を利用してつくられたのが分かる
ヘラクレス門⇒
左に棍棒も残っている。プーラの古代名は「Colonia Pietas Iulia Pola Pollentia Herculanea」つまりヘラクレスの街 なのである。 もっとも立派な門はセルギ家の門⇒
セルギ家の女性が彼女自身の私費で建設させたものと記されている。 アーチのかなめ石の部分に鷲が蛇を襲っている図が掘りこんである⇒
鷲はローマ、蛇はエジプトを表している。つまり、カエサル暗殺後、の二度の内戦の末、オクタビアヌス(のちのアウグストゥス)がエジプトへ逃げたアントニウスとそれを助けたクレオパトラ七世を葬った事を記念している。
プーラの街はもともとカエサルを暗殺したガイウス・カシウスの兄弟によって建設されたので、第一の内戦時には荒廃したが、オクタビアヌスの娘ユリアによって再建され、前出の名前をもらったのである。
**現地のガイドブックに、「ヴェネチアの聖マルコ教会の柱はプーラにあった教会から再利用された」と記述があったので、その教会跡を見たいとリクエストした。
★聖マリア・フォルモサ
発掘中の敷地に、かつての教会建物の基礎だけがそのかたちをみせている↓

もともとあった巨大な教会はなくなり、その柱がヴェネチアのサンマルコに転用されたというわけである。
残された一つの礼拝堂はしかし、ニンの街にあるものによく似ている。端正なロマネスクである。敷地に置かれていた円柱は現在は道路になっている場所にあった運河の底から発見されたモノ。輸送中に落ちてそのままにされていたらしい。石はトルコ産だという⇒
***すぐ近くだが、ちょっと気づかない一角に古代邸宅のモザイク敷石が保存・・・というかほったらかしになっている
紀元前三世紀ごろのもので、「ディルカの懲罰」というギリシャ神話が主題ときいたが、仔細はよく分からない。
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かつてのフォロに到着。三つの神殿がならんでいた広場は二千年間かわらずに広場でありつづけている。いちばん左のアウグストゥス神殿だけがかつての姿をそのまま留めていると見える⇒
が、右に建つ13世紀市庁舎も、建物の骨格は実は古代の神殿をまるまま利用していた。裏へまわってみるとはっきり見えてくるのだ。 なぁるほど、二つの神殿組み込まれております↓

市庁舎の角の部分には馬に乗った当時の市長。と、上には建物を支える意味かテラモン(巨人)が刻まれている
古代と中世がまざりあい、現代まで目の前にそびえている街、プーラ。
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午後は現代史においても重要な国境の街だったリエカを訪れる。