旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

夕暮れのザイオン国立公園

2016-08-02 20:31:20 | アメリカ西部

車のドアをあけると熱風が襲ってくる。ラスベガス近郊の「炎の谷」を抜けてザイオンへ向かう午後はあまりに熱かった。ザイオン手前のハリケーンの街のホテルにチェックインして、しばし休憩。太陽が少しやさしくなった頃に再び出発し、ザイオンを目指す。神秘的な空の色はこの時からはじまっていた。

ザイオン国立公園は、自分の車で自由にまわることはできない。公園内のシャトルに乗り換えて、先ずは谷の奥を目指す。

  車椅子もひとりで乗れます

谷のいちばん奥「テンプル・オブ・シナワバ」まで行くと、そこから先は歩いていく道しかない。

深い谷から夕暮れの空をみあげてあるく 時々こんなこもいます

少し歩いて、再びシャトルバスに乗る このバスはプロパンガスで動いている。排気ガスが出ないから

ウィーピング・ロックで降りて15分ほど歩く。

 トレイルはそこらじゅうにあるが、どこも楽なわけではない。どのぐらいなら我々でも楽しんで歩けるのかを考えてコースを選ぶ必要がある。そこがむずかしい

ウィーピング・ロックはわりに楽に到着できる。

ふたたびビジターセンターに戻るバスをまっていると、山の頂上だけが赤くもえていた。

頂上の部分に、ちいさくみえたこれはなに?

これは、ロッジを補修する樹木を伐採しておろすための場所なんだそうな。言われなきゃわかりません。

ビジターセンターへもどると、夕方の光に雨の気配。形容しがたい紫色の夕暮れがはじまった。

神様はいる。この場所をザイオン(イスラエルの「シオンの丘」と同じ)と名付けたモルモン教徒たちの気持ちが理解出来たような気がした。

 

 

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「炎の谷」から「失われた街の博物館」へ

2016-08-02 12:49:59 | アメリカ西部

ラスベガスを出て砂漠に入る。しかし不毛の土地ではなくここネヴァダは鉱山の州として知られている。道路からも稼働している鉱山がたくさん見られる 一時間もかからず、「ヴァレー・オブ・ファイアー州立公園」への入口に達する 道の前方に赤い山がみえてきた

 

公園内に入ると、いっきに世界の色が変わった。

 

 

「ビーファイブ《蜂の巣)」と呼ばれる場所にストップ。たしかにスズメバチの巣のような形をした岩がならんでいる。登ってもいいけれど、自己責任です(^^)

 

 

 

車で五分のところに先住民の残した岩絵がある「アトラティル・ロック」がある。黒い岩肌をけずって、たくさんの絵が残されているところまで、鉄の階段がつけられている。

 

 

  「アトラティル」とは、弓矢以前に先住民が槍を投げるために使っていた道具の事。下の写真で左上にその道具が描かれているのでそう呼ばれるようになった。

 

 

あとから訪れた「失われた街博物館」で原住民が使用しているモデル写真があった↓

 

 

こういった岩絵は、実はまだまだ多くの場所でたくさん見つかる。特にこの黒い壁にあるこのエリアにはたくさんあるのだ。

 

 崩落したと思われる巨大な石の塊にとくにたくさんの絵がみられる。左上の絵は亀なんですと。このあたりに生息する陸ガメで先住民の大事な食料だった↓

 

 

 

さらにいくつかの場所にストップ すると、あ!動物がいた。

 

バスじゃないので、ちょっと止めてしばらく見ていると

 

こちらを見ながらやってきた

 

こちらにもう少し写真載せました

お昼になり、気温は四十℃をはるかに超えているだろう。州立公園の東の出口を目指す。

ゲートの手前すぐ近くに「エレファント・ロック」映画「トランスフォーマー」も撮影された場所だそうな。

**州立公園を出てオーバートンの街へ向かう 州立公園のビジターセンターで、この街にあるは「失われた街博物館」は見る価値があって、さらに食事が出来る場所もありそうだというのでこのルートをとることにしたのだ。

日干し煉瓦・アドベ建築を模した平屋の博物館到着

LOST CITY(失われた街) とは 1935年に完成したフーバーダムによって出来た人造ミード湖によって水没した村を指す。それは実際に人が住んだ村とともに、先住民の村の遺跡も合わせた名称である。

この簡素な扉をあけると、昔風だけれど、よく整備された展示空間がひろがっていた。ここを開設したのはコロンビア大学出身の考古学者マーク・レイモンド・ハリントンという人物。 だが、実際にその後半生をかけてここを整備し運営していたのはフェイ・パーキンンスという人物だった。

見学していた時にはよく理解できていなかったが、あとから資料と写真をしっかり読み込んでくと、二人のこの場所にかけた情熱がひしひし伝わってきた。 おもしろいと思ったひとつは、フェイが当時のネヴァダ州知事にこの場所の発掘・整備計画の許可を得るために送った資料と、その返信手紙。

発見された矢じりや先住民のパイプを、葉巻の紙箱に入れて送っていたもの↓

州知事さん、当時は愛煙家だったのでしょう(^^)

※この博物館についてはあらためて書きます。

****

昼食はオーバートンの街のいかにもアメリカの小さなカフェにて

  雰囲気のあるお店でした。

午後、今日宿泊するユタ州ハリケーンの街へ向かう。

時間があればザイオン国立公園もお見せしたいとおもっている。

 

 

 

 

 

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