旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ルクソール~夜明けの気球

2016-12-06 06:31:13 | エジプト

まだ暗い朝04:10にクルーズ船を出発桟橋から小船に乗ってナイル川西岸にわたる。西岸の砂漠に着くと、すでにたくさんの気球が膨らみ始めていた。

地平線に蒼い夜明けの気配が漂う。バーナーのオレンジ色の炎と冷たい砂漠の朝の空気。

「ああ、この景色のためにエジプトに来たかったんだ」そう思う。

 

 

※動画はこちら

気球の運ぶ・人の乗るバスケットの大きさは様々だが、ここルクソールのモノはかなり大きい。我々小松含めて十四人を乗せて、さらにオーストラリア人とスペイン人の家族も加え二十人も楽々運んでくれる。

 

 

横倒しにしてあったバスケットが、バルーンが立ちあがってゆくのに引っ張られて立ち上がる。※上のサイトから動画をごらんください。

バスケットのふちは胸の高さぐらいまではあるから、乗り込むのがちょっとたいへん。女性は「お姫様抱っこ」してくれたりする↓

 

ふわり、という音さえたてず、バスケットが宙に浮かぶ。ゆっくりと地面が離れる。風の音さえ聞こえないのは、我々が風と一緒に移動しているから。だから、風が強い時には気球は飛べない。夜明けに飛ばすのは、夜と朝の境目が、いちばん風が凪ぐ時だから。

時々「ご~」っと頭の上で、キャプテンがバーナーの炎を開く音だけが聞こえる↓ルクソール西岸の砂漠は、空から見てはじめて分かる、広大な遺跡がひろがっている↓

※⇒動画はこちら


人々が暮らす家、天井に雨が降り込みそうな穴があいている。これも気球から見てはじめて知った。雨など年に数回しか降らないから、風が通る事の方が重要なのだろう↓

塀が囲っているかまぼこ型の家は外国の発掘隊の基地だそうだと、キャプテンが教えてくれた↓

いつのまにか、たくさんの気球が浮かんでいる↓

ナイル川の向こう、東の地平線から太陽が顔を出した↓

西岸の岩山が赤く照らされていく↓

この山のふもとに「王家の谷」「王妃の谷」「クルナ村の貴族の墓」「ハトシェプスト女王葬祭殿」がある。下の写真でみえてきたのは、「王妃の谷」ちょうど、きのう入ったネフェルタリの墓入口が見えた↓

四十分ほど過ぎ、気球は砂漠の方向へ流れてゆく。これも計算通り。眼下には我々を待って移動してきた車が見える。それといっしょに近所の村の子供たちがロバに乗ってやってくるのが見えた↓

進行方向に見えてきたあの建物は?↓

コプト教会(エジプトのキリスト教)の修道院だ。入口に十字架が見える。ドームは修道士の個室らしい↓

敷地の中に見える穴は墓なのだろうけれど、ごみがたくさん詰まっていて、まるでゴミだめみたい。やれやれ、エジプトの改革はまずゴミ拾いからしなくちゃね。↓

キャプテンがバーナーを調整して、ゆっくり高度をさげてゆく。「ランディング・ポジッション!」と声がかかり、事前に練習していたスタイルをとった↓

が、すぐに「今日は大丈夫」ということで、みな風景を見ながら、気球はすとんと砂漠へ着地した↓

村の子供たちがあつまってきた↓

バルーンの頂上を開けて、熱い空気を抜く↓

スタッフがすぐにたたみにかかる↓

そして、我々がおりるばん↓

 

 

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ルクソール~ルクソール博物館

2016-12-05 21:52:09 | エジプト

カイロの考古学博物館に比べて、すばらしく質の高い展示環境である。それもそのはず、1975年12月にフランスの指導により完成した場所なのだ↓

ルクソール(アラビア語のEl Qusur=城塞 から転化した呼び方)、古代にギリシャ人はテーベと呼び、エジプト人はゥワセットと呼んだ。長い間古代エジプトの首都だったルクソールだけに発掘物は多岐にわたるが、いちばん重要なモノを厳選して見やすく展示してくれている↓

入ってすぐにあるのは、

★巨大なアメンホテプ三世の頭部(第18王朝紀元前14世紀)↓頭の部分・これだけで二メートル以上ある。あの「メムノンの巨像」の後ろにあった葬祭殿に並んでいた巨像のひとつだと推定される。

彼はツタンカーメンの祖父と言えば伝わりやすいだろうか↓花崗岩製である。

アメンホテプ三世の母は、異国ミタンニから嫁いだ人だった。言わば妾腹。

なので、継承権の正当性を宣言すべく、母がアモン神と交わった結果であると、ルクソール神殿の至聖所に刻んだ。※⇒こちらにその図像を載せました。

実際に異民族の血をひいていた、少しかわった顔立ちである。

★ツタンカーメン墓から見つかった牛(「愛と美の女神ハトホル」をあらわす)の像↓

↑目はラピスラズリ、角は銅。実にリアルに美しく表現されている↑これを見た瞬間に思い出したのは、クレタ島のクノッソス宮殿で見つかった牛の像。同じ時代に地中海の周辺で、牛は特に神聖な動物だったようだ。

●ツタンカーメンの顔をしたスフィンクス↓

ぎょっとさせられるのが、ワニの神様が王を同伴している図↓この博物館の目玉のひとつ。一度見たら忘れない。1967年に運河工事をしていて竪穴から発見された↓

★ソベク神とアメンホテプ三世の等身大像↓

ナイル川のワニは人も襲う恐れられた動物だった。なので人々は、逆に神としてあがめることで、命を守ってもらおうと考えた。

この像でもワニの右手が王の口元に「命」を表す「アンク」をさしだしている↓

このワニの口元、折れて見つかったのを復元したようだが、とてもリアルに良くできている。ワニの口元を見慣れた人でなければ、こんなリアルには彫れないだろう。 刻まれた王の名前は「ラムセス二世」になっているが、これは後に名前だけが刻みなおされただけだとされている。

・小松が今回いちばん印象にのこったのは、中王国・第12王朝のセンウセレト三世王の彫刻頭部↓他のどの時代の王の彫像も、こんなリアルな人間ぽさを持っていない。なにゆえこの時代にだけ、このような表現が良しとされたのだろうか?↓

★★★センウセレト三世王の頭部↓※現地の説明版には「SESOSTRIS Ⅲ」と表記されているが、これはフランス語での表記をそのまま英語にしょうとしたもの。「TRIS」という部分が「三世」をあらわしているのに、わざわざ「Ⅲ」をつけている。ここではより一般的な英語名で表記いたします↓

「人間そのまま」を表現したように見えるが、よく見ると、特に正面から見ると、「これはありえないなぁ」という部分がある。どこか見つかりますでしょうか?↓

それは耳!↑実物よりずっと大きくつくられたのは、「私は民衆の声を聴く耳をもってます」というアピールだったと、解釈されております。 彼の治世は三十九年ととても長く、末期は息子と共同統治していたので、継承もスムーズに行われた。息子の時代にも、この肖像表現は受け継がれていたようで、下の像は息子の★★アメンエムハト三世の像↓

父の像と同じリアルさが、この像にも見られる。

ところが、次の新王国時代になると、こういう表現はぱったりなくなり、また定番の「無難な」王の顔が表現されるようになっている。下は、新王国時代・第18王朝のトトメス三世の像↓

整った顔だち。戦争して領土を拡大したこういった戦闘的な王は、足にこんなふうに弓矢を踏んでいたりするのだそうだ↓

★★アメンホテプ・ベン・ハブ書記の座像

お腹がだぶついているのは、当時のステイタス。書記といっても、モノを書くだけの人ではない。仕えたアメンホテプ三世のために葬祭殿や神殿を建築した技師でもあった。たいへん優秀な人物だったらしく、死後のも彼の名前は語り継がれ、アメンホテプ三世の神殿は、「ハブ神殿」と呼ばれるようになってしまったのだった。

知的によくととのった顔だちにしあげられている。

●アケナトン王の像↓

一神教に改革しようとした王のかわった表現↑

ルクソール博物館には、ホンモノのミイラや、キリスト教時代の展示まである。それほど大きすぎず、上手にライティングされた美術館。一見の価値があります。

***

クルーズ船でベリーダンスショーがあるので、それに合わせて戻ったほかにもいろいろ出演。

その後ダイニングで夕食。決まったメニューでなく、毎食の前菜・スープ・メイン・デザートそれぞれ三種類か四種類かから選択できる。北アフリカのクスクス⇒   

 

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ルクソール~ネフェルタリの墓を見学してからクルーズ船にチェックイン

2016-12-05 18:44:41 | エジプト

カーターハウスでツタンカーメン墓のレプリカを見てから「王家の谷」へ向かった。ここで、もちろんホンモノの墳墓を見学。レプリカよりも黒ずんだ感じがしたのは、やはり観光客を入場させている影響か※近年「王家の谷」エリアすべてが、入口から撮影禁止になりました。エリアのインフォメーションセンター入口まで写真OK→

★今回、出発が近づいた11月になってから「『ネフェルタリの墓』が期間限定でオープンしましたよ」と、手配会社から連絡をいただいた。それはツタンカーメンのの墓のある「王家の谷」とはちがう「王妃の谷」にある。通常のツアーではまず行かない場所。

ネフェルタリの墓は、古代エジプトの墳墓多しといえど、もっとも美しい壁画が残るとされている。

小松としては、この千載一遇のチャンスを《手造の旅》に生かさない手はないと思ったが、すでに決めてしまった販売価格に含めるにはあまりに高い入場料。皆さんに掛け値なしの金額をお知らせして、オプションとすることにした。

なんと、券面で1000エジプトポンド↓(USとの固定相場だった時には113USドルほど)であります↓

これにエリア入場料・ガイド料などを加えて、オプション販売は130USドル。

しかし、これだけ払っても、入場時間は十分だけ! 

日本を出る前にみなさんが「そこまで払ってたった十分だけなの・・・」と躊躇されたのも当然。 最終的には全員が見学することになったのだけれど。

小松もここには一度も入った事がないので、現地のガイドさんや入った事のある友人に「実のところ」訊ねる。

誰もが「一見の価値がある」とこたえる。ううむ・・・ならば、皆さんのお供ではなく、自腹を切って見学することにいたしましょう。 

・・・たいして大きな場所ではない。しかし、圧巻の色・その表現力!ネフェルタリの白い衣装が透けている様など、下手な修復の手が入っていないと感じる↓

***

さて、朝から盛りだくさんの見学をおえて午後三時半、いよいよ四泊するクルーズ船にチェックイン。クルーズ旅の絶対のポイントィは船選びに妥協しないこと。今回、全室スウィート、バルコニー付きをおさえることができた。この船がルクソールを出発するスケジュールに合わせて、日本の出発日も決めたのであります。

ダイニング前のスペース↓

この日のサラダバッフェ↓

パンのセレクション↓

二階のロビー↓

小さいがフィットネス↓

屋上にはプールも↓

★部屋、入ったところ↓

寝室方向を見る↓

ベッド↓

バスルーム、ちゃんとタブがあります↓

そして、小松がこだわったバルコニー↓ これがあると全然雰囲気が変わる↓

午後四時半から、デッキでティータイム。そろそろ夕陽がナイルに沈む↓

日暮てすぐに、「ルクソール博物館」を見学に行った・・・次へ

 

 

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ルクソール~カーターハウス

2016-12-05 17:27:37 | エジプト

ツタンカーメンの墓を発見したハワード・カーターの家が博物館として公開されている。今回はルクソールでたっぷり時間があるので、念願かなって訪れることが出来た。

この家は後援者のカーナヴォン卿が1910年にカーターの為にたててあげたもの。当時カーター・キャッスルと呼ばれていた↓

カーターはデッサンが上手かったので、エジプトの発掘に加わるチャンスを得た。カーナヴォン卿は、エジプトになど興味はなかったが、車の事故の療養でエジプトに来ることになった。

遺跡の発見というのは、「運がよかった」のだと思われがちだが、それぞれのケースを見ていくと、決して運だけで成し遂げられたものではないのだと感じる。そこに至るまでのさまざまな小さなこと・地道な事があってこそ「運よく」結果を導いてくれている。

家の中はほとんど当時のままだそうだ。カーターのデスク↓電信装置が時代を感じさせる↓

旅行カバン↓

レトロな電気のスイッチ↓

カーナヴォン卿はいつも娘を連れてエジプトを訪れ、ここに滞在していた。その二人のベッドルーム↓

小さなベランダ↓ ツタンカーメンの墓が見つかった日、カーターの飼っていた小鳥が毒蛇に咬まれて死ぬという事件があった。小さな事件でも、それは「ファラオの呪い」のひとつとして扱われることになる↓

一度外に出て、家の裏にまわる。すると、ツタンカーメン王墓のレプリカがつくられているではないか↓

ツタンカーメンの墓はもちろん観光客に大人気。人の出す湿気が壁に悪い影響があるということで、クローズしてしまおうという話は常に出ている。それで、スペインの会社が精巧なレプリカをつくり、本物の代わりつくったのであります↓

内部はたしかにホンモノそっくりにつくられている。が、あえて言うならば、近年問題にってきた壁の表面のカビまでは再現していない。発見当時の姿、ということだろうか。

★ツタンカーメンの墓は、もともと義理の母ネフェルティティのものだったのではないか、という説が急浮上している。発見されて百年近くも知られていなかった空間の存在は、壁に発生したカビの具合がちがっていたのも論拠になっているのだ。※これについては別に書きます。

 

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ルクソール~ハトシェプスト女王葬祭殿

2016-12-05 13:08:54 | エジプト

たまたまタイミングよくてか、貸切状態!

六年前にはなかった三階部分が出現↓ゆっくりでも着実に復元が進んでいます↓

土産物ストリートを通って入場↓

ぜったい1ドルにならないようなものでも「ワンダラ~!」と言いながら売りに来るんです↑

入場料50エジプトポンドは、3ドルほど。2016年11月にドルとの固定相場が終わって暴落した。固定相場の時代は六ドル近かったのだ。近い将来値上げ確実ですね。

三階部分まであがってみる↓ 左右の門柱穴にタールが流れたような黒い跡が見える。神殿が後年教会にでも使われていた時のものなのかもしれない↓

見おろすような崖が崩れてこないかと心配になるが、この場所は「万が一崖が崩れることがあってもこちら側には落ちてこない」との想定で選ばれたのだそうだ↓あの山を超えると「王家の谷」。以前、あそこを超えるハイキングをする日本のツアーもあったっけ↓

最上部にぽつんと人影が見える。拡大してみると、警備の警察だ。エジプトは現在威信をかけて観光地の安全を守っている↓

 

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