カバー遺跡と参道でつながった兄弟都市ウシュマルには「魔法使いのピラミッド」がある↓
高さは38メートル程↓
「メキシコのピラミッド群のなかでいちばんうつくしい」という評判。たしかに(^.^)
上部に開けられた穴から、こんな↓像がみつかったそうな↓
角を丸くした個性的なデザイン↓
遺跡エリア入口からすぐのこのピラミッドに出会う。そこから左手に行くと「総督の館」が見えてくる↓
広場の向かい側にある檀上に、施政者が坐したと言われる「ジャガーの椅子」が置かれていた↓
●「総督の舘」とガイドブックにも書かれているが、建物の名称は19世紀の探検家たちが便宜上つけたもの。
実際に建築した人々がどう呼んでいたかはわからない。どのように使われていたのかもわかっていない。
↓人物との対比でかなりな大きさだと分かっていただけるだろう↓
↓文様で埋められているプーク様式↓
テラスから「魔法使いのピラミッド」方向↓
「総督の舘」の裏に出ると、左手に「大ピラミッド」がそびえている↓
↓ここには登ることができる↓
頂上のテラスからの眺め↓
↑「魔法使いのピラミッド」の左にある大きな建物が、あとから訪れる「尼僧院」↑
↑登りきって「ロッキー」みたいに喜ぶ欧米人も↑
↓降りる方が慎重に
●球戯場↓
↓この石の枠にボールを通す競技だったようだ↓
●「尼僧院」↓
入口を入ると、中世ヨーロッパの僧院のように中庭を四角く囲った建物↓
↓この場所に出た時、予習で読んだ19世紀後半にやってきたフランス人の言葉を思い出した↓
少し引用してみる※創元社 知の再発見双書07「マヤ文明~失われた都市を求めて」より
「私は尼僧院に身を落ち着け、南部に張り出した部分の部屋を寝室にしていた。(中略)三日目の事、4時ごろ豪雨をともなうすごい嵐があった。夜が訪れハンモックの上で丸くなった。いつもならすぐに安らかな眠りにつくところだ。突然すさまじい苦痛に襲われ目が覚めてしまった。部屋中に羽音が響き渡り、あたりかまわず手を伸ばすと大きなゴキブリぐらいの冷たくて平たい虫がたくさんいるのがわかった。急いでロウソクに火をつけた。次の瞬間(中略)ハンモックには少なくとも二百匹の気持ちの悪い虫がからまっていた。ほとんどが私から吸い取った血でまるまる太っていた。」
↓この文章を書いたフランス人デジレ・シャルネは写真家で1865年ごろにこの場所を撮影している↓いやはや、こんな経験をしながらの撮影だったのだ。
彼は二十代にニューオリンズでフランス人コミュニティのためのフランス語教師をしていたが、この時はマクシミリアン皇帝と共にフランスからやってきていた。メキシコは政治的な動乱時期にあったが、彼はマヤの遺跡に心を奪われて密林を探検していた。
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「尼僧院」を出るところでフランス人の一団といっしょになった
共に外国旅行中に外国人に出会ってもの珍しい。通じない言葉でやりとりしているうちにみんなで写真を撮ることになりました(^.^)↓
この遺跡は1937-8年に修復されたと表示されていた