旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

「太陽のピラミッド」に登ってからメキシコシティへ

2018-11-24 15:15:15 | メキシコ
あそこまで登るのかと思うと…

頂上の人がアリのように見える

「太陽のピラミッド」は高さ65m。
エジプトの大ピラミッドの半分ほどの高さなのだが、あちらは登るためにつくられていない。

テオティワカンの王は輿にのって上がった…
いや、輿に乗って上がるにはちょっと急すぎる階段ではないかな?そうおもワンない?

階段は大きく分けて四つの部分からなる。傾斜はそれぞれ違う。

テオティワカン文明は七百年以上にわたって繁栄した。碁盤の目に区画されたその中心となっていたのがこの「太陽のピラミッド」。
「月のピラミッド」が五回以上も改築・増築されたのにくらべ、この「太陽のピラミッド」はほぼ最初からこのサイズで造成されたのだとか。
21世紀になってから地下に長く曲がりくねった通路がたくさん発見され、今も研究が進められている。
観光客はまだ地下には入れないが、地下より山へ登る方が達成感があるかも。

階段を登りきるごとに眺めが良くなる。
エジプトのピラミッドと違い、石や土砂を盛り上げている。
発見された時には草木が生えていたというのも理解できる。
1878年にスケッチされたこのピラミッドはこんな↓


今日は土曜日だからメキシコシティからも地元の人がたくさんやってきている。
いや、ガイドさんの話によると日曜日はメキシコ人入場無料になるからもっとすごい混雑になるのだそうだ。
手摺に沿って行列になり、時には登頂まで一時間待ちにさえなるのだとか。ああ、起こり得るかも。

幸い今日はそこまで混んでいない。
ようやく、頂上到着。

特別なにがあるというわけではない。が、ここが神との交信場所で、この真下に世界を模した部屋があるのか。


降りてゆくと、メキシコのムーンストーン?を販売中。

「死者の道」はいまや「お土産の道」となっております。
****

メキシコシティまで一時間ほどのドライブ。
世界最大ともいわれる都市圏に近づくと、山の上までカラフルな家がぎっしり↓

これは不法占拠住宅。
貧困や治安悪化から逃れてメキシコシティに流入してきた人々が勝手に住みはじめてできた「街」なのだ。
※ペルーで見た同様の住宅を思い出した。こちらからその日のブログにとびます
※トルコのアンカラ周辺でも同様の不法住宅「ゲジェコンド(「夜の家」夜の間に勝手にたてたのでそう呼ばれるそうな)」を見た。こちらは近年ずいぶん環境改善されているようだ

不法に住んでいるからといって、これだけの人口を無視して国を運営することはできない。公共交通機関として(と説明された)、山から下の中心部まで運行しているゴンドラが道路の上を運航している↓


メキシコシティ周辺は渋滞が日常化している。観光プランもそれを考慮しないととんでもないことになる。毎日の移動は出来るだけ少ない方がよい。


昼食はタコスの専門店へ↓

ぱっと見トルコのドネルケバブのようなものが↓

タコスはアメリカをはじめいろいろなところで食べてきたが、びっくりするほどおいしいものにはあたったことがなかった。ここもそれほど期待はしていなかったのだが…おお、これはいけますね↓

シェルはメキシコでは必ず柔らかい。固いのはアメリカで開発されたようでここではお目にかからない。
飲物は「オルチャータ」↓ライス・プディングの飲物版といえば分かりやすいだろうか↓


★オルチャータをヴァレンシアの火祭の屋台で飲んだのを思い出した。スペインでは違う材料をつかっていた。
※こちらの日記から写真をご覧いただけます

スペイン本国のオリジナル・オルチャータはぜんぜん違った印象の飲物だった

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テオティワカン遺跡~「月のピラミッド」に登る

2018-11-24 11:11:11 | メキシコ
「月のピラミッド」から「死者の道」方向を見たところ↓小山のようにみえるのが「太陽のピラミッド」↓あちらにも後で登ろう↓

1878年にこの場所で描かれたスケッチが残されている↓

百数十年後に観光客でいっぱいになるなどと予想もしなかっただろう。

急な階段にはロープが張ってあり多くの人はそれにつかまって上り下りするが、しっかり足をあげて普通に上り下りも可能。

印象としてはアンコールワット内陣の階段の方が怖かったかな。

「月のピラミッド」は現在途中までしか整備されていないので実質ここまで

↓中段部分まで登れる。かつては頂上に雨の神の像があって、王はそこまで登って神と対話していた?

↓奉納の台があっただろうと思われている四角いエリア↓「死者の道」には小さめな神殿がずらりとならんでいたのだろう。その基壇階段部分だけが残る。


テオティワカン遺跡は紀元前二世紀から紀元後六世紀ごろに繁栄したとされる。
つまり古代ローマと同時代に、同じような都市と建造物を出現させていたのだ。

しかし、14世紀ごろ?アステカ族がここを「発見」した時にはすでに廃墟になっていた。
アステカ族はケツァルコアトルのピラミッド斜面から手足を縛られた生贄をたくさん見つけたので、ピラミッドが面するメインロードを「死者の道」と命名した。
テオティワカンを建設した人々自身がどう呼んでいたのかは今も分かっていない。

遺跡が実際になんという名前で呼ばれていたのか、どのように使われていたのか。
ほとんどの場合仮説にすぎない。

ガイドブックの名前は、そこで見つかったフレスコ画などから考古学者が命名したもの。
○「ジャガーと羽のついた巻貝の宮殿」↓
↓このフレスコ画がみつかったことによりこの名前になっている↓

↑ジャガー、またはそののポーズをした神官がほら貝を吹いているように見える↑

見学しやすいように、元の建物の周りを歩ける↓

外壁には「羽のある巻貝」↓なるほど

隣接する小ピラミッドの基壇部分には、もっと古い時代のピラミッドが埋め込まれていて、詰められていた瓦礫をとりのぞくとオウム?のフレスコ画がみつかった↓

現在もまだ瓦礫が詰め込まれた部屋がある↓

↑これを除けばさらに古い時代のモノが見つかるかもしれないのだが、安全上そう簡単に手が出せないのだとか。

↓この部屋への入口部分

発見された当時の漆喰は下部の赤い部分だけ↓

溶岩性の黒い石をはめ込んである部分はすべて復元↓

↓階段の前にある台形の赤い石はコブラの尻尾をあらわしている↓なるほど


○「ケツァルパパロトルの神殿」には別チケットで入る

2009年から2012年にかけて新たに復元された「柱の中庭」↓

赤い石がオリジナル↓補って補って、ここまで復元してもらわないと我々素人には理解できない↓
↓目のカタチの真ん中に黒い黒曜石がはめこまれている↓

名前のもとになった「ケツァル」はこの地域で最も美しい鳥↓その姿が刻まれている↓

↑様式化されているが左を向いたくちばしが分かる
***
「死者の道」を歩いて、「太陽のピラミッド」に向かう。
振り返ると「月のピラミッド」の後ろに山が重なった↓

セロ・ゴルド山(3060m)のシルエットと同じにつくられたのがよくわかる。
※テオティワカンが標高二千メートルを超えているのでそれほど高く見えない
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テオティワカン~ピラミッドの上を気球で飛ぶ

2018-11-24 08:00:00 | メキシコ

ピラミッドの上を気球で飛ぶなんてエジプトでも体験できない

↑左上が「太陽のピラミッド」、右下が「月のピラミッド」
この写真では同じぐらいのおおきさに見えるが、前者の方がずっと大きい。
「太陽のピラミッド」の一辺は220~230m。※エジプトのギザの大ピラミッドとほぼ同じだが高さはギザが高い
「月のピラミッド」は140~150m。

↑「月のピラミッド」は、通称「死者の道」から見ると背景にある山と同じシルエットにつくられているのだそうだ。午前中に地上から観光する時に確認しよう。

***
昨夜テオティワカン遺跡にあるホテルに泊まる行程にしたのはこの気球フライトを体験するためだった。

朝六時に気球会社の車がホテルに迎えにくる。十分ほどでオフィスに到着。メキシコシティのホテルに泊まっていたらこうはいかない。

そろそろ朝焼けになってきた

手続きをして建物の裏にまわると、なんとすぐに気球の出発地点。
広げられた気球はすでに風を送り込まれ、ふくらみ始めていた

ボンベの炎が音をたてる
我々の乗る気球も立ちあがる
※こちらyoutubeに動画を乗せました




離陸!

空には先に飛び立った気球がいくつも飛んでいる


ピラミッドの近くへ来ると、どの方向の人にも見えるように気球を回転させてくれた
※こちらyoutubeに動画をのせました



高度が下がると民家がよくみえる

ワンちゃんが屋上歩いている


着陸する場所をぴったり決められないのが気球。
え?サボテン畑に着陸↓


↑気球に気付いてももくもくと作業を続ける人
↓畑のすぐ横に我々の車がやってきた↓


まったく風もないので「ランディング・ポジション」の姿勢をとる必要もない。
カートの上に直接カゴが着陸した。こういうケースはあまり多くないのです(^.^)

着陸してもすぐにカゴから降りてはいけない。

いきなり軽くなるとまた飛びあがってしまうから。
ゆっくり空気を抜いて、バルーンがしぼみはじめてから、ひとりひとりカゴを出る。

スタッフは要領よくたたみはじめる


恒例の、無事の帰還を祝うシャンパンをキャプテン自ら注いでくれた

***
08:30少し前、ホテルに帰着。中庭のプールサイドで朝食

出発は10時にした。こういう少しの時間的余裕が一日を快適にする。

すっかり暖かくなった。今日は土曜日なので地元からのお客も多い日。ホテルがアトラクションに繋留気球を用意していた。

料金はこちらの方がずっと安いのだけれど、やっぱり「飛ぶ」のが気球の面白さである。




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テオティワカン遺跡の夜~音と光のショー

2018-11-23 20:20:20 | メキシコ

夕暮れてきた午後六時、遺跡のすぐとなりにあるホテルを出る

このホテルに泊まることにしたのは、今晩の「音と光のショー」と明日朝の気球を楽しむため。
五分もしないで遺跡入口に到着。
↓入場券を持って18:30の開場を待つ↓

ぼんやりとライトアップされた「太陽のピラミッド」がすでに見えきて気持ちが高まる。
三十分ほど遅れて開場。
ひとりひとり携帯型のイヤフォンを受け取る↓

言語はスペイン語の他には、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語の四つ。日本語はまだない。

どんな風に使うのか、とにかく使ってみるしかない。

**
ツアーの前半はライトアップされた「死者の道」を「月のピラミッド」までをライトアップツアーのガイドさんと歩く。
ひとつのグループ人数はきまっておらず、集まったら適当にスタートする。

突き当りの「月のピラミッド」まで三百メートルほどだろうか。
携帯型のガイド機械、だんだん使い方が分かってきた。
その場所の番号を押して解説を聴き、たとえばこんなフレスコ画が見つかったと見せてくれる↓

当時のこのあたり最強の動物とされたジャガーを描いたフレスコ画はホンモノがこんな風に見えた↓

↓建物の復元図も見られる↓

機械操作が苦手な向きもあろうが、なかなか有効である。

ライトアップと星空を見て歩いているだけでも充分楽しいのだが(^.^)

↓かつてこの階段の上には木造の神殿群が並んでいたのだろうか↓

遺跡ガイドさんと我々のグループは離れてしまったがあまり気にしていないようす


三十分ほど歩いて入口近くにもどってくる。
「太陽のピラミッド」を真っ直ぐにみられる階段に座るように誘導される。
ちゃんと一人一枚の座布団を手渡してくれる

「太陽のピラミッド」にWELCOMEの文字。月がちょうどきれいだ。

全員が着席すると、ピラミッドにプロジェクト・マッピングがはじまる。

ところが、あれ? しーんとしている。スペイン語の大音響解説は流れてこない。

係り員がまわってきてイヤフォンをつけるように身振り。あわてて携帯型ガイド機械のイヤフォンを装着するが…まだ聞こえない。
ご指導していただいてやっと英語の解説がきけた。最初の五分ぐらい聞き逃してしまった。

ピラミッドはかつて赤く塗られていただとか、地下にトンネルが見つかったとか。興味深い話がいっぱい。

我々についてくれている地元の日本語ガイドさんも来るチャンスはあまりチャンスはないそうだ。




出口で機械を返却。人質にとられていた小松のパスポートが無事にもどって来た(^.^)










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ケレタロ~サンタクルス修道院と

2018-11-23 17:17:17 | メキシコ
メキシコは花々からしてカラフル。この花は何?

修道院の小さな中庭に水道橋の最後の部分が見えた↓

水道橋がたどりつく丘の上のサンタクルス修道院。
ガイディングツアーに参加して見学するスタート予定時間を三十分以上遅れて、どどっと入場した。

水道橋の運んでくる冷たい水を溜める場所は冷蔵庫代わりになっていた。すぐ近くにキッチンがあった↓

**
17世紀、ここに住んだ修道士フラ・アントニオ・マルヒル・デ・ヘスースが、ある日持っていた杖を地面に突き刺して休んでいると、抜けなくなった。
杖は根が生え、やがて十字架の形をした棘を持つ木が生えてきた↓

彼のシンボルはその木。今も中庭に存在し、十字架型の棘がたしかにある↓

ありがたい「奇跡の棘」は大人気

メキシコシティへ行く途中、ドライブインで販売していた↓

教会にも入ってみる↓

16世紀からのものと思われる十字架。あえてキリストの姿は見せない。先住民たちの目から見ると生贄に見えてしまうから。なるほど↓

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丘の上の街。ゆるく盛り上がる道。

どこを曲がってもカラフル。

不意に出くわした胸像は↓1917年の新憲法によってえらばれた初の大統領カランサ。彼も暗殺されてしまったのだけれど↓

↓広場に立っていたこの人物は水道橋を建設したラギラ子爵↓

↓市庁舎

↓どこの街にもある「自由の鐘」↓本物をメキシコシティで見てみたい

中庭の三面に巨大な壁画↓20ペソ札のベニート・ファレス大統領

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水道橋が丘に至る場所に、歴史上の人物を顕彰する広場がある↓

真ん中には1810年当時のこの町の市長ミゲル・ドミンゲスとその妻ホセファ・オルティス・デ・ドミンゲス。体制派の一員の筈のこの二人は実はメキシコ独立支持者。

ミゲル・イダルゴを追っ手から匿い、逃がし、メキシコ独立戦争のスタート地点となる「ドローレスの叫び」への道筋をつけた。
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今晩はテオティワカン遺跡の中にあるホテルに泊まる
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