今は安易に咳などしようものなら
地下鉄なんぞはえらいことになる
よって
必要が生む
ネットで花粉バッチ
うつりませんバッチ
喘息バッチ
いろいろある
ただし高い
ここで兄様自慢
さいたまは深谷市在住の兄様は
手作り玩具の講師で
教室を開いて
子供たちに手で玩具を作ることを教えている
手を使って
思いついた玩具を子供たちに
作ってもらう
それがどれだけ大事なことなのか
成長する過程で
手で作る
何かを創造する喜び
兄様は自分で高度なオルゴールも作り
販売もしている
とにかく
そういうことを
小さな工房を設けて
やっている
最近はちゃんとした工房を持って
奥さん(義理の姉)は重度障害児の園で
働いている
二人とも
子供が大好き
よって実の二人というか四人というか
いろいろ作る
「圭造、いっぺん、来い」
と工房を見せたいという
母様も以前言った
あそこはあんたも気に入る
と言う
窓に鳥が飛び込んでくるという
林の中にあって
自然の中で
人がどのように
生きるかを
仕事を通じて
子供と父兄に玩具として伝える
兄様は多くを語らない
物を作って
示す
そんな生き方
そんな兄様にメールを書き
かくかくしかじかで
喘息のキーホルダーがほしい
と1000円送った
いくら兄弟であっても
プロに頼む以上
当たり前だ
そっちの方が
良い仕事をしてくれることを
わたしは知っている
「いらんよ」
と勿論
兄様は言う
そうはいかぬ
と押し通して
忙しいので
時間かかるけどいいか
と言いながら
きっと
優先して
作ってくれて
送られてきた
それが写真の喘息ホルダー
バッチも添えてあった
たいへん気にいっている
これもコロナ禍の賜物
記憶をたどれば
兄様はまず板に釘を打ち
ビー玉でパチンコ台を作った
あといろいろ
それが確か中学生くらい
兄様の手は父様の手と同じく
指が長い
父様もまた
本棚や靴箱
池やベランダ
さまざまの物を
釘なしの凸凹で作ってみせた
それを見た兄は父の影響で
いろいろ作り始めた
父様は油絵も描き
やはり兄様もデザインを得意とした
わたしはいっさいそこらへんがだめで
駄洒落ノートで駄洒落を88個作って
台所に立つ母様に見せたら
「これは文学だ」
と母様ははっきり言った
当時
わたしは小学生で
文学という言葉は知っていたけれど
その実態は知らぬ
あの一言が
わたしを貫き
以降
音楽が大好きで
それは家族四人
わたしだけで
「誰に似たのだろう」
と父母は不思議がった
音楽に歌にのめり込んで
その歌詞を覚え
書き写し
そのうち
自分でも日記と歌詞を書いて
歌を作るようになる
ギターはキーをひとつおぼえると
和音が出て
喜んだ
もう一つ覚える
またひとつ覚える
三つのコード(和音)を覚えると
たいていどんな歌でも弾き語ることができる
その喜び
そして歌詞
後から
その歌詞は
黒田三郎であったり
谷川俊太郎であったり
茨木のり子
添田唖然坊
山之口獏
川崎洋
であったりした
だから
現代詩人の詩を
中学生から
体に入れているのだから
今に至るのは当たり前次郎なのである
思えばヘンテコなメンバーの家族だわ
‐=
久しぶりにマコトちゃんにお会いする
元気で良かった
いろいろ話す
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猫
何もない場所
よしず二本
差し上げる