甲子園が終わり、あれだけ騒いだ北京五輪も終わった。ここ数日は夏の暑さもどこかへ行ってしまったようで、なんだか体のだるさとむなしさだけが自分をつつんでいる。こんな感じだから、仕事も家でのレポート作業も手に付かない。忙しすぎてストレスが溜まるのはよくないけど、仕事が手に付かなくてストレス溜まるのもまた、困りものではないだろうか?
そんな、まさに「どよ~ん」としたぼくが、今回「RMMスタッフ徒然ブログ」の土電の記事を読んだ瞬間、遠い遠い幼き頃の出来事が甦ってきた。『鉄道』がたぶん一生の趣味となるかのような、あの出来事へ。
舞台は高知県吾川郡伊野町(現・いの町)。母親の実家がすぐ近くにあり、夏休みに遊びに行くと、祖父がバイクで伊野の駅まで出迎えてくれた。その視線の先には、路面電車・・・!道路の上を走る電車なんて当時なかなか見られなかったわけだから、もうそれだけで興奮してしまって・・・。
翌日からそれこそ毎日のように普段しない早起きなどして、停留所の引き込み線(記事では”謎の線路”となっている)の先に、当時あった車庫(これも当時は4線分ありました。そして右端の4番線には錆びた単車300型の廃車体が置いてあったんですよ)から1両ずつやってくる電車を、ホントに飽きずにみていたものです。祖父も祖母も叔父も、そして85歳になる曾祖父も、そんなぼくの行動に半分呆れていたのかもしれない。で、1週間くらい毎日そうしていたら、あるとき駅員さんから、土電の時刻表をもらったんです。それを持って撮った写真が実家にまだ残っていたので、記憶の隅に何となく覚えている。現物はもうないのですが、「維新号」の7号電車のイラストが描いてあったと思う。
それから20数年、その間、高知へは2,3度しか行っていない。最後に訪れたのは、6年前の祖母の葬儀のためで、祖父もいま病気で伏せている状態という。曾祖父は20世紀を見事に駆け抜け、今世紀の始めに大往生を迎えた。最後にもう一度祖父に会いたいとの思いはあるけど、これからまた忙しくなるし、なかなか足も向かない・・・。 しかし、あらためてみるとこの付近は路面モジュールのテーマになりそうな面白い場所だなと、ぼくは思うんですが。
最後に私信。Jさん、ご結婚おめでとうございます。