平日は仕事、休日は今の期間イベント手伝いのため休みが喉から手出してでもほしいKouChanです。
「世田谷線ものがたり模型展」、おかげさまで今回も好評のようです。TV番組で紹介された前回('07年)は殺人的混雑に半分ヒヤヒヤものでしたが、今回は非常に落ち着いております。小さなお子さまは走らせている電車をルーペ持って追いかけたり、大人の方でも精巧(!)につくられたジオラマに感動されているようす・・・。
そんな中、日曜に会場にいらしたある女性から、なかなか聴けない、深イイ(?)話を聞くことができたので、思い出す限り書き留めることにする。
世田谷線の独立と同じ年に生まれたというその方は、世田谷線沿線に幼いときから住んでおられ、小学~中学頃まで、当然世田谷線を利用されていた。毎日利用しているからだろうか、いつの間にか乗務員さん全員に顔を覚えられ、ある日定期券を忘れたとき「お前は顔パスだから早く乗れ」といわれたり、また当時あった上町の乗務員詰所に上がり、食事をごちそうされたり。はては「○○さんの孫娘」「○○運転士さんの彼女」なんていわれて「ええっ!」と驚いたり。しかし、これだけではなかった。
ある日、終点の駅で降りようとしたときに、乗務員さんが先におりてしまった。そのとき、当時小学生だった彼女に「お前最後におりてドア閉めといてくれ」。いわれたとおりに最後に降り、ドアスイッチを外から「ガチャッ」と押して閉めたという・・・・さらっと書いたが、よくよく考えたら、普通絶対にあり得ないエピソードだ。それだけ顔を知られていた証左なのだろうし、また逆に言えば、当時の鉄道会社はそれだけ大らかだったのかも知れない。今、世田谷線では一部時間帯を除いて女性のアテンダント(車掌)が就いているが、ぼくが思うに、彼女こそ、女性アテンダントの元祖だろうと、かってに思っている。
「世田谷線はわたしにとって庭のようなもの」そう仰っていたこの女性、一つだけ悔しい思いをしたそうで、思い入れの強かった旧型電車が2001年に引退する当時、群馬へ嫁いでしまい、さよなら運転していたことを知らなかったという。
・・・書いていて思いだしたが、前回のイベントで、世田谷線にやたら詳しい女性の方が会場におられたので訊いてみたところ、元世田谷線アテンダントだったそうな。
今度はどんなエピソードが聞けるだろう。