熊本熊的日常

日常生活についての雑記

地域特性

2010年01月03日 | Weblog
12月31日付「エンディングロール」に書いた通り、昨年は10回ほど落語会に足を運んだ。同じ噺家の落語会でも場所が違うと客も違う。当然かもしれないが、やはり地域の特徴というものが客にも表れるものなのである。

落語会の客は圧倒的に高齢者が多い。現在は「落語ブーム」と呼ばれ、30代、40代の落語家の露出度が高いように感じられ、寄席もかつてよりは客の入りが多い。それでも、都心以外の会場で行われる落語会の客は、高齢者が過半を占めているのである。長年生きてきた人は、それだけ多くのことを経験し、多くのことを学んできたのだろう、などと考えてはいけない。経験とか学習というのは、そういう意思がなければできないものなのである。自分の親を見ていても感じることだが、単に老化しただけの生き物という印象を受ける人が多い。つまり、その人なりの素がより直接的に表現されている存在が多いということなのである。概して傍若無人と形容できる。その素の人たちに、やはり地域性というものが見て取れるのである。どの地域の人がどう、ということは書かないが、やはりはっきりとそのような特徴がある。

今日は都内某所へ落語会を聴きにでかけたのだが、今日の場所は今までになく酷かった。館内の掲示でも放送でも客席での飲食は禁止と言っているのに、平気で無視するのは、おそらく気づいていないから仕方がないとして、自分のすぐ脇で、飲食物を持ち込んで会場の職員に注意されているところで、それが他人事であるかのように堂々と自分のカバンのなかから缶飲料を取り出してみるというのはどういうことなのだろう。噺家が出てくるまでは隣の人と盛んにおしゃべりをしていながら、噺家が登場するととたんに居眠りを始めるというのは、どこの会場にも必ずいる。が、ここはそういう人が目立つと思うのは気のせいだろうか。私の隣のご婦人は、靴を脱いで片足をもう片方のひざの上に乗せ、その足をずっとさすっているのである。椅子に座っているのが楽ではないのはわかるのだが、自分の家の居間でくつろいでいるのではないのだから、もう少し行儀というものを考えるべきではないのか。

こんなところで文句を書いてもはじまらないのだが、要するに、年を取ると醜くなるものだから、自分はそうならないように気をつけたいと思う。そういえば、社会人になったばかりのころは、ああいうオヤジにだけはならないようにしたいと思う人がいくらもいたものだが、いまや自分がそういうオヤジとたいして変わらないという現実がある。ということは、…