熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「カティンの森」(原題:KATYN)

2010年01月12日 | Weblog
何度も書いていることだが、人は生まれることを選べない。生まれた時代と社会と家庭といったことによって人生は全く違ったものになる。第二次大戦下のポーランドは枢軸国側のドイツと連合国側のソ連からそれぞれに侵攻され、戦後はソ連の衛星国となり、ソ連崩壊後は民主化に向かい、現在はEUおよびNATO加盟国でもある。ポーランド人、と言っても、どの時代のどのような家庭に生まれたのかによって、おそらく相容れない価値観を醸成しながら成長するのだろう。ひとつの国家という枠で果たしてまとまることができるのかと素朴に疑問を覚えるほどに、20世紀というわずか100年ほどの期間に社会が激動している。激動したのは日本も同じだが、激動の時期がポーランドよりも50年ほど前にずれている。また、地政学上の差異も大きい。とはいえ、この作品を観ていて、もし自分がこの時代のポーランドに生まれていたら、と考えないではいられなかった。

歴史に翻弄されるとはこういうことを言うのだろう。軍の将校のような旧体制での上層階級の家庭は敗戦とともに没落し、戦後の新体制に節操無く転向した者が新たな特権階級として君臨する。そして、この作品では描かれていないが、そうした新体制も約40年後には崩壊してさらに新たな政治体制に移行し、そこで改めて社会の再編が起こるのである。生きていく上で、社会体制の変革にあわせて自分の価値観を捻じ曲げるというのは必要なことである。それを潔しとしないのなら、新体制に対してあくまで抵抗するか、新体制に見切りをつけて故国を捨てるしかない。そうした選択が個人のなかで完結するのなら話はまだ簡単だが、家族の間で意見が異なり、結果として親兄弟の間で殺しあわなければならないということだってある。そこまでして守り抜かねばならない矜持とは何だろう。

この作品は第二次大戦下で実際に行われたソ連によるポーランド兵捕虜の虐殺事件を描いたものだ。捕虜の虐殺は国際法違反であるというのは言うまでもない。しかし、戦争に果たしてルールがありうるだろうか。戦争はゲームではない。相手を殺さなければ自分が殺されるのである。それだけしかない。現に捕虜や反体制派、占領地域住民の虐殺は、おそらくどの国でもあったのではないだろうか。ドイツによるユダヤ人の虐殺はあまりに有名だが、日本も南京大虐殺や731部隊による捕虜を使った人体実験が知られれているし、米軍の原爆投下や焼夷弾による絨緞爆撃といった銃後の市民を標的にした無差別爆撃も虐殺行為だ。それが「虐殺」とされるか否かは加害者が戦勝国か敗戦国かによって決まるのである。カティン事件の場合も連合国側の公式見解こそ無かったが、ソ連が敗戦国ドイツによるものと主張したことを黙殺することによって事実を敢えて明白にしなかった。その真実が明らかになったのは1990年に時のソ連共産党書記長ゴルバチョフが虐殺の事実を公式に認めたからだが、それでも、例えばこの作品は現在のロシアにおいては一般に公開されていない。

白黒をつける、という言い方があるが、初めから白だったり黒だったりするものなど無いのである。当事者間の力関係で同じ事象が白くも黒くも灰色にもなるのである。公平だの平等だのといった概念が錦の旗のように振り回されるのは、世の中が本来的に公平ではないことの裏返しだ。戦争とか虐殺とか、大規模な事件だから衝撃的に映るが、我々の日常には命にかかわるほどのことではないにせよ、精神面の現象として思いの外多くの小さな「カティン事件」があるのではないか。