ついに利用している銀行のキャッシュカードが使用停止になってしまった。生体認証に規定回数のエラーを発生させてしまったからである。金融機関の生体認証方式には、指によるものと手のひらによるものとがあるが、指のほうはエラーが多くて不自由を感じていた。生体認証など申し込まなければよかったのだが、そのほうが安全であるような錯覚があってつい申し込んでしまった。仕事関係の付き合いとか諸々の事情で銀行口座が多く、これを整理しておきたいとかねがね考えていたので、既に指の認証の口座をひとつ解約した。今回はもうひとつの指認証の銀行のものだ。
生体認証以外にも暗証番号はもとより、一日あたりの引き出し額制限とか、窓口で引き出す場合は印鑑とか、複数の本人確認手段がある。これに生体認証を加えることで不正な利用を防ぐ確率が高くなるのは事実だろう。しかし、こう使い勝手が悪いと、その利用を躊躇してしまう。
たまたま、今回使用停止になったのは、口座がある支店のATMだったので、そのまま店舗のほうへ行ってすぐに対応策を教えていただくことができた。結局、カードの再発行なので、事実上、当面の間はその銀行のATMからの出金はできない。でも入金はできるというのは不思議なことのようにも感じられるが、あくまで印象であって、合理的なことである。出金ができない不自由に負けず劣らず入金ができない不自由もある。むしろ、現実的な不自由は口座に残高が無いということに起因することのほうがより大きいのではないか。
幸い、今回使用停止になった口座からは手数料無しで送金できる先がネットバンキングのサイトにいくつか登録してあるので、自宅に戻ってからネットバンキングでそちらの銀行口座へ今回引き出そうとした金額を振り込み、そこから引き出すことにした。
生体認証の不自由も含め、銀行の物理的店舗の利用は、店舗やATMコーナーでの順番待ちなど、あたかも利用を避けるように仕向けているような印象を受ける。しかし、誰もがパソコンを使って金銭の出し入れをできる環境にはないし、これはおそらく当分無理なのではないかと思われる。なかには客の不自由を承知の上で、敢えてその不自由があっても店頭を利用しようという客だけを相手にするかのような、新生銀行のようなところもある。それはそれでひとつの考え方であろう。
利用する側も、その金融機関をどのように利用するのか、という考えのもとで選択をするべきなのだろう。銀行というのは、一見したところ、どこも同じようなサービスを提供しているようだが、昔の護送船団行政の頃とは違って、各行それぞれに工夫を凝らしているものである。それが中途半端で実体としては護送船団時代と殆ど変わらないのだが、個々の利用者自身の事情と相対的に相性のよい金融機関というのはそれぞれにあるものだ。主に利用する金融機関を変えることで、生活の利便性が顕著に向上することはあると思う。そんなことを今日はふと考えた。
生体認証以外にも暗証番号はもとより、一日あたりの引き出し額制限とか、窓口で引き出す場合は印鑑とか、複数の本人確認手段がある。これに生体認証を加えることで不正な利用を防ぐ確率が高くなるのは事実だろう。しかし、こう使い勝手が悪いと、その利用を躊躇してしまう。
たまたま、今回使用停止になったのは、口座がある支店のATMだったので、そのまま店舗のほうへ行ってすぐに対応策を教えていただくことができた。結局、カードの再発行なので、事実上、当面の間はその銀行のATMからの出金はできない。でも入金はできるというのは不思議なことのようにも感じられるが、あくまで印象であって、合理的なことである。出金ができない不自由に負けず劣らず入金ができない不自由もある。むしろ、現実的な不自由は口座に残高が無いということに起因することのほうがより大きいのではないか。
幸い、今回使用停止になった口座からは手数料無しで送金できる先がネットバンキングのサイトにいくつか登録してあるので、自宅に戻ってからネットバンキングでそちらの銀行口座へ今回引き出そうとした金額を振り込み、そこから引き出すことにした。
生体認証の不自由も含め、銀行の物理的店舗の利用は、店舗やATMコーナーでの順番待ちなど、あたかも利用を避けるように仕向けているような印象を受ける。しかし、誰もがパソコンを使って金銭の出し入れをできる環境にはないし、これはおそらく当分無理なのではないかと思われる。なかには客の不自由を承知の上で、敢えてその不自由があっても店頭を利用しようという客だけを相手にするかのような、新生銀行のようなところもある。それはそれでひとつの考え方であろう。
利用する側も、その金融機関をどのように利用するのか、という考えのもとで選択をするべきなのだろう。銀行というのは、一見したところ、どこも同じようなサービスを提供しているようだが、昔の護送船団行政の頃とは違って、各行それぞれに工夫を凝らしているものである。それが中途半端で実体としては護送船団時代と殆ど変わらないのだが、個々の利用者自身の事情と相対的に相性のよい金融機関というのはそれぞれにあるものだ。主に利用する金融機関を変えることで、生活の利便性が顕著に向上することはあると思う。そんなことを今日はふと考えた。