熊本熊的日常

日常生活についての雑記

初釜

2010年01月30日 | Weblog
今日は初釜だった。点心を頂きながら弁当の場合の作法を習った。食事となると、さすがにお茶だけの場合よりも時間がかかるので、終始正座を続けることは不可能に近い。最初と最後の部分を除いて、失礼して足を崩して食事を頂いた。

弁当の場合、ご飯もおかずも同じ器に盛られているので、どこから箸をつけるかというのは悩ましい問題だ。これも流派によって違うのだそうで、裏千家ではご飯から頂く。これは収穫への感謝をまず表すということらしい。一方、表では汁物からなのだそうだ。まず箸を湿したほうが食べやすいということらしい。おかずのほうも頂く順番があるようだが、そういっぺんに覚えきれるものではない。

もとは千利休が確立した作法であるはずなのに、表だの裏だのと流派が分かれるというのは、おそらく解釈の違いということなのだろう。物事には絶対唯一というものはあまりないように思う。その時々の状況に応じた対応というものがあって然るべきで、そうした「時々」が固定化されてしまったものが流派、という面もあるだろう。その流派も時間とともにさらに変化を続けているはずなので、もともとの理屈から外れてしまっていることも少なくないはずだ。それでも、流派を超えた普遍性を帯びた思想のようなものもあるはずで、だからこそこうして長い歴史を紡ぎ続けている。

月に一度の稽古なので、作法はさっぱり覚えないのだが、月に一度程度なので楽しく続けていられるとも言える。忘れてしまったことは何度でも教えて頂ける雰囲気であるのもありがたいことで、おかげで素朴に茶道の諸々を楽しく体験させて頂いている。なによりもいろいろな茶碗を使うことができるのは、自分が茶碗を作るときに大いに参考になっている。陶芸のほうは昨年9月から轆轤を使うようになったばかりなので、形のあるものを作るだけで精一杯なのだが、今年はひたすら茶碗を作ることに挑戦し続けるつもりでいる。ところで、弁当のおかずを頂く順番は、また来年の初釜のときにでも教えて頂くことになるだろうと思っている。